手が付かない

10月もあっという間に半分が過ぎた。
ここへ来て今年の総括に帳尻を合わせるように、今年というかここ2、3年手を広げてきたあんなことやこんなことが動き出して、そのどれもを年内中にカタチにするべく同時進行中だったりする。
手がかかって重たい案件が最優先なのだが、すぐには動きそうにない軽めの案件の方が気楽で、そっちばかりが気にかかって重たい案件が手に付かない。
そんなコトを考えているとブログすら手に付かなくなってしまうので、せめて何か書き留めたいと思うのだが、やはりこれといった着想は無いようだ。

そもそもこんなマルチタスクで同時進行するようになったのには、自分の中での「転機」というのがあって、その「転機」が無ければこんな「何か起こりそうなワクワク感」とか、「あと2ヶ月半で間に合うかどうか」といった切羽詰った感は味わえなかっただろう。
何が変わったと言えばそれはほんの些細なハナシで、それは例えば『ドアノブを掴む手を左手にしてみる』とか、『靴を右足から履いてみる』といったようなコトだ。

ただ長年の習慣というのは恐ろしいもので、そんなほんの些細な変更も気に留めていなければいつの間にか元に戻ってしまう。
努めて『変える』ようにして2、3年。
ようやく板に付いて来た頃に、これまたようやくカタチになりそうな雲行きになったというコトだ。
それは一般社会では微塵も評価されるものではなく、恐らく親父にそんな成長ぶりを言ったトコロで鼻で笑われて終わりだろう。
ただ似たようなトコロを目指す、また目指しているヒトには、羨望と称賛の変化らしい。

あと3年で『カタチ』になるか?
10年後にはどうか?
30年後は?
いろいろ不安がよぎるけれども、焦らず行くしかないだろう。

週末は今年亡くなった叔父の納骨がある。
山っ気の強かった叔父に、墓前で聞いてみることとしよう。