同情

授賞すれば日本人初、と騒がれたアカデミー賞助演女優賞も、順当にジェニファー・ハドソンが授賞して、あんまりよく知らない女優某さんのテレビ露出も一段落した。
聾唖者という難しい役どころを演じるに際し、オーディション合格前から手話の勉強をしていたというが、今回のノミネートはその演技よりも、「聾唖」という役どころに対する同情からではなかったのだろうか。

そもそも作品賞を授賞したディパーテッドなど、香港映画の二番煎じ。
オリジナルではない筋書きの映画が作品賞とはオカシイではないか。
これも、過去5回もノミネートされて一度も授賞していないマーティン・スコセッシ監督への同情からだろうか。
そう言ってしまえば、全編日本語なのにノミネートされた「硫黄島からの手紙」も、米兵以上に多数の戦死者を出した日本兵への同情だろうか。

となれば、所詮はアメリカ映画界が内輪で持ち回りに授賞する映画祭な訳で、ソコに日本映画ではなくアメリカ映画として製作された作品に、たまたま日本人が出演していたからといって、ノミネートされたと大騒ぎするほどのもんでもない。
とはいえ、日本アカデミー賞なるもののショボさからすれば、今だに日本における映画のスタンダードはハリウッドな訳で、山田洋次監督の次回作には更なる期待を持ってしまう。
(個人的には海外で評価された北野武監督作品が、なんで評価されたのかいまだに分からないのだが。)

これらは、その業界に居れば権威のある賞なんだろうが、外部からはなんの魅力も感じない、そういった類のものなのだろう。
ちょうど、年に2回行われる「褒賞」も似たようなもので、自ら申請しなければ来ない叙勲であっても、それが欲しい人たちの間ではただならぬ祝儀となる。
逆手に取って高額な記念品商法が横行する訳だ。

それはともかく、最近のアメリカ映画は全くのオリジナルストーリーではなく、漫画、アニメ、ミュージカルその他、何かのリメイク物である場合が多い。
原作が小説なら映像化の意図もあるだろうが、既に映像化されているもののリメイクには抵抗を感じる。
それだけネタに困っているのだろうが、「同情」が蔓延する業界には精彩さを感じない。
とはいえ日本でも、ヒット小説の単発ドラマ化、映画化、連続ドラマ化は定石の一手になりつつあるのだが。

オリジナルはつくづく難しいというハナシだ。