日本人くらいのもの

先日知り合いが、駐車違反で検挙された。
現場は銀行の前、駐車場の空き待ちをしているうちに3時近くとなり、いつもみんな止めているからと路上駐車した、ほんの5分の出来事だったという。
いつもみんな止めているぢゃないかと散々文句を言ったが、当然聞き入れて貰えず、頭に来てその場で反則金を納めて来たという。

イラン人の友達は言う。
あんなものに、即座に支払いを済ませるのは、日本人くらいのものだと。
確かに彼らだって、「払わない」ワケではない。
ただ車両を拘束される訳でもなく、当座何の不自由もない駐車違反の反則金を、言われるままに即座に支払うなんて、考えられないというのだ。

確かに、早く払ってしまって、このクソ忌々しい出来事を早く忘れてしまいたいというのはあるだろう。
いずれ払わなくてはならないものだから、カネのあるうちに払ってしまおうというのも。
そしてその日本人の「金離れの良さ」によって、交通違反反則金制度が成立っているというのも、否定できない事実だ。
戦後GHQ主導で行われた国民教育の、賜だろう。

とはいえ最近では、「個の尊重」を履き違えた教職らによってモラルのない親が量産され、安易な消費者金融の利用と多重債務から、いとも簡単に自己破産する者も増えた。
給食費の未納もその一例だろう。
そんな親を見ているのだから、子の世代のモラル低下は甚しい。
彼らの商店での傍若無人ぶりは、単に「教育レベルが低い」というだけでは済まされないトコロまで来ている。
アメリカ式の個人主義は、あくまでキリスト教の宗教観に立脚しているもので、キリスト教はおろか神道も仏教もない日本人には、これまでの秩序を崩壊させる劇薬となるだろう。

そんなアナーキー世代と対局に居るのが、「借りたものは必ず返さなければならない」団塊の世代
そんな団塊の世代だからこそ、我が町の財政赤字を我がコトのように悩み、交付金欲しさに高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致となったのだろう。
またその「地層処理」の技術が、廃棄物が無害となる数万年先まで確立された技術ではないとして、反対する住民も、まさに「団塊の世代」ではないか。

第二の夕張は避けたいと考えたとて、タレント知事ですら効果は一過性。
インフレを前提に中央が交付金をジャブジャブ垂れ流さなければ、従前のような地域格差のない発展など有り得るハズがない。
ならば破綻を承知でのらりくらり任期を務めればいいではないか。

また、当座向こう数年に渡って、何百、何十億という途方のもないカネが流れ込むのである。
数万年はおろか、百年先のコトだって知ったこっちゃない。
黙ってその恩恵を享受すればいいではないか。

なんて、マスコミには、たとえ思っていたとしても絶対に言えないコトを、ココに書いてみる。
ついでに、飯島愛が患っているのは、きっと肝臓だよね。