就職浪人とスクーリング

dubrock2007-09-04


暑い夏も終わり秋の風が吹こうとしているのに、いまだ内定が取れず「とりあえず大学院に行こうかな」なんて言っている大学生。
就きたい仕事があるので、その関連の専門学校に来年から通おうと思っているんですよ、と言うフリーター。
世間では求人難とか、売り手市場とか言われているのに、両者とも履歴書すら用意していない。
願書を出す以前の問題だ。
職を転々とする若者が取り沙汰されていて、その行く末は日雇い派遣、寝床はネットカフェ、という刷り込みからか、「一度就職したら辞められない」という意識が二の足を踏ませている様だ。

「一度就職したら辞められない」
   ↓
「一生続ける(続けられる)仕事に就かなければならない」
   ↓
「自分の能力を発揮できる仕事が見出せない」
   ↓
「自分の能力を発揮すべく、興味のある分野の専門知識を学ぼう」

そういう思考パターンによって、両者とも更なるスクーリングを計画する。
ソコに、「とりあえず暮らしていける」居住環境、親への寄生が後押しをする。
さらにこう言われてしまっては、「働け」と言える親も少ないだろう。
「働く気が無い」「働きたくない」というのではなく、「働く意思はあるのだが、将来的に有利な条件を得るための準備」と言われてしまうのだから。
ニートを「Not in Education, Employment or
Training」と定義するならば、学生であればニートではない、ということになるのだから。

しかしながら世の中には、学校で学べないものの方が多い。
社会に入ってから学べるもの、そういうものを必要としないのは「SE」ぐらいではないだろうか。
しかしながらSEの定年は30歳。
それからは、リーダーとしての資質と素養がなければ組織には不要。
結局、社会に入ってから社会人として学んだスキルこそが、「一生働く」には必要なのであって、そういうスキルを学校を出たばかりの社会人一年生が持ち合わせていないことも、至極当然のハナシ。
「今の状態で入社しても、会社の戦力になれない」は当たり前であって、そんなコトは採用する側だって分かっているのである。
それでも、採用して2年は使い物にならない新卒採用を、中途採用よりも企業が率先して行う理由はなにか。
つまりそれは確率論であって、「採用したうちの何人かが、将来の会社を担ってくれればいい」という程度のものでしかない。

ちなみに、「院」まで卒業してしまった博士センセーの、就職難も問題になっている。
曰く「研究職若しくは習得した関連分野で」となれば、それも当たり前だろう。
そんな求人が都合よくあるワケがない。
というか、優秀な人材はとっくに声が掛かっている。
掛からなかったというコトは、「その分野ではたいしたコトない」というコトだ。
つまりは「諦めろ」と。

共通して言えることは、数ある求人誌を眺めながら採用後の暮らしを夢想しているというコト。
でもちょっと待って欲しい。
まだ採用されるとも決まっていないし、そもそも願書を出さなければハナシすら始まらない。
それなのに、もう面接に受かった時のことばかり考えている。
採用する側の立場で見れば、どう見ても受かりそうにないのに、だ。

スクーリングを否定するつもりもないが、どちらの場合にもまず願書出そうよっていう、そういうハナシ。
求人なんか出ていなくても、「雇ってくれ」と言って命まで取られるハナシはないのだから。
カネ貰いながら勉強できれば、願ったり叶ったりではないだろうか。

今日の写真は、電飾して晴海に係留中の、DD125護衛艦さわゆき