その意識が…

dubrock2007-09-06


コムスン」の撤退に伴う事業譲渡先が決まった。
利用者のサービス維持には一括譲渡だ、いやいや分割だと散々揉めたガリバーの解体だったが、結局47都道府県単位に分けての譲渡は「大手が得意地域をエリア毎に受け持つ」という、譲渡するコムスンにとっても後々都合の良いものになった。
都道府県に根差した草の根のNPO法人に譲渡すべきだ、なんて言う気も無いが、最多のジャパンケアが東京を含む13、2位のセントケアが12と、これだけで全体の半数以上を引き継ぐと聞けば、果たしてそれでいいのかと懐疑的になる。
譲渡先を決めた第三者委員会は、「地域の業者を優先にしたが、引き受け手が無い場合には大手に」としているが、それは「(法令を遵守して)真面目にやれば24時間介護は儲からない」というコトだろうか、それとも委員会自体が大手の意向を汲んでいる、というコトだろうか。

「今までのヘルパーさんにこれからも来て欲しい」
そんな利用者の声をマスコミはこぞって流し、「弱者保護」とか「介護事業者の社会的責任」みたいな論調に招いているが、この意識こそが介護保険制度を崩壊させ、介護事業者の不正を助長する元になったのではないだろうか。
確かに、気心の知れたヘルパーさんなら、細かい説明もなくいつもの介護が受けられるだろう。
細かい個人の「わがまま」も多少は通用する。
しかしながら介護保険制度の中での介護サービスには、それらの「質」について割増料金を請求出来るような、そういう仕組みにはなっていない。
利用者が「いつものヒトでなければ」ならば、事業者の不正についても寛容になろうというものではないだろうか。

激務と言われる介護ヘルパーさんではあるが、それでも従事しているヘルパーさんは概して優しい人が多い。
多少の不自由はあるにせよ、提供されるサービスにたいした違いはないハズ。
「いつものヒトならわがまま気ままが言える」なんて言わずに、黙ってサービスを受ける意識が、利用者に求められる時期に来ているのではないだろうか。

年寄りとはそういうもの、ではあるのだけれど。