初夢

dubrock2008-01-02


「物理学」も実務の段階では「数学力」を要するものであって、その「数学」は高等学校で習う範囲の「微分積分」にこそ、その面白さが凝縮されていると思う。
「物理学」は自然世界で起こるありとあらゆる事象を数式化することであって、この話をするとドラマ「ガリレオ」の1シーンを思い出すが、実際に自然世界で起こるコトというのは様々な要因が絡み合って起こっているワケで、それを数式に表すなんて不可能だろうし、仮に数式化することができたとしても、複雑すぎてどんな数学力をもってしても演算不能であろう。
だから物理学の実務では、結果にあまり重大な結果を及ぼさないであろう要因を「合理的な理由」とやらで排除していって、計算しやすい「理想的な仮想世界」とすることが入り口となり、その「理想的な仮想世界」を可能な限り実際の自然界に近づけていくこと、演算可能な範囲内で細かい要因を影響の大きいと思われる順番で計算式に盛り込むコト。
それが「高度な物理学」というものではないだろうか。
実際、「空気との摩擦を考えない鉄球の落下運動」なんて、ごくわずかな一瞬の出来事の再現でしかないワケだし、ソコに起こっている「空気との摩擦による影響」なんて「測定誤差」とか「測定精度の限界」とかで片付けられてしまうのだろうが、これが「大気圏外から突入してくる鉄球」というコトになれば結果は全く違うものになってしまうワケで、「空気との摩擦を考えない」というコトがいかに無意味か、なんてハナシにもなるだろう。

「算数」が中学校から「数学」と呼ばれるようになるのは呼び名の変化というものではなくて、「足し算・引き算」という日常生活で必要な数を数える「算数」と、日常生活とは無縁の「数学」というものは「全く別物」と考えたほうが、後々の為になるのではないだろうか。
ともかく、数学の面白さは「微分積分」に集約されるのであって、その「微分積分」の世界をキレイな数式、定理から紹介する「高等学校で履修する範囲の微分積分を学ぶ段階」というのが一番面白いと今でも思っている。
これに味をしめて大学で高度な微分積分に挑もうとすると、ハナシはマニアックな方向に進むばかりで「内輪的にはキレイな数式」であっても、傍からみれば何のこっちゃわからない記号の羅列ばかりで、そのワケの分からない記号の羅列に萌える世界に辟易してしまったりする。

物理学にしろ数学にしろ「理学部」の範囲にいるうちは「実生活には何らの影響もない」という事実は揺るぎないワケで、仮にこの分野に進んだとしてもごく一握りの研究職にありつけなければ一文にもならない。
いま、「大学で学んだことを生かしたい」と寝言を語って就職浪人、世間体から大学院に進学するも状況は変わらず、「博士号を持つニート」が問題になっているらしいが、それもその筈どんなに大学で研究に没頭して優秀な成績を納めたトコロで、「生活費を稼ぐ為には働かなければならない」というコトは誰も教えてくれないし、この道に進学する時に高校の担任だってそういう助言は与えてくれない。
だから、「キミは数学が優秀だから東京大学の理学部にいきなよ」というコトバが学校と教師の都合だけで発せられているなんて、知る由もないのである。

ではより実践的な「工学系」ならば、卒業後の食いっぱぐれも無さそうに思えるのだが、大学の工学研究室など教授のモルモットであって、何の研究かもよく聞かされないままワケのわからん実験に明け暮れ、その従順さが評価されれば助手として研究室に残れる可能性もあるし、晴れて卒業して幸運にもどこぞの企業の研究室に潜り込めたとしても、やっぱり指示されるワケのわからん実験に明け暮れるコトは変わりないのである。
もちろんそれら「ワケのわからん実験」を指示しているヒトたちだって、そういう下積みを経てようやく指示する立場の順番が回ってきたに過ぎないし、研究している内容だって果たしてそのヒトが若かりし頃思い描いていた夢の研究であるかどうかは甚だ疑わしい。
特に企業の研究室では最終的に企業が売り出す商品に反映される内容の研究でなければ企業は評価しないワケで、ノーベル賞を取るような大発明を偶然してしまった研究者が企業で冷遇されていたとしても、ちっとも不思議ではないのである。
だいたい、青色発行ダイオードだって白色有機ELだって、どちらも研究員の偶然によるものではないか。

理学では食えない、工学ではモルモット、となれば残されたのは医学・薬学系であるが、「他よりも学費が高く卒業後も開業しなければ激務」で、しかも「訴訟リスク」なんてハナシを聞けばしり込みしてしまうのも現実。
つまり「若者の理系離れ」は興味以前の問題であって、そんな「受け皿」を変えない限り志望者が増えるなんてありえないと思うのだが、お偉いさん達は分かっているのだろうか。
「ならば文転して経済学に数学的なアプローチを」というのは20年前に私自身も考えたコトだが、その分野はいまだ確率されていないし、第一「株価チャートを数式化することに成功したとしても、実際に株式の売買をしなければメシの足しにはならない」という大命題が残っているワケで、経済学者や数学者が株で巨万の富を築いたとか、有名トレーダーになった、なんてハナシはいまだ聞こえてこないのを見れば、「本でも書いて売れなければこの分野でも食っていくのは難しい」というのも事実

つまり「最低限の生活費を稼ぐ術」というコトが、これら大学での勉強以外に必要とされているワケで、この部分について教えてあげられる親というものが少なくなっているのも事実だし、「お金」を得ること、所有することと「幸福」、「精神的な充足感」なんてものは別モノであって、さらに「恋愛」なんてのは全くメシの足しにもならないけれども、排除してしまってはなんと面白みに欠ける人生ではないだろうか。
大学院を卒業したニート、手段を問わずカネ儲けしかアタマにないホストやキャバ嬢、恋愛しかアタマにないバカなガキ、それぞれがそれぞれにカタワモノ(言葉狩りされそうだけど)でいて、「夢が持てない」なんてチャンチャラおかしい話だと思いながら、「数学、特に微分積分も面白いよ」と高校生に説く夢を見た。