デン♪デン♪でんぐりがえって段ボール♪

dubrock2008-01-12


先日テレ朝で、「密着・山谷の壮絶正月」などと銘打って、高齢の日雇い労働者の苦境から『格差社会』なんて当たり前のワードを引き出そうとする特集番組を観た。
40年前30前後だった山谷の住人がそのまま歳を取り、70となった今単純労働では賃金が安いと訴えるハナシ。
奇しくも世田谷区のゴミ集積所から古紙を持ち去った古紙回収業者に有罪の高裁判決が出たばかりだが、山谷でリアカー借りて一日段ボールを集め歩いても、ほんの千円2千円にしかならないらしい。
しかしそんな条件でも働けるだけマシ、現金収入が一番有り難いというコトで、貸し出し用のリアカーには暗黙の担当者まで決まっているというのだから、この訴え確かに一理あると言えよう。

ココだけ見れば。

このテの安宿街に日雇い労働者と来ればお約束は「ノミ屋」。
山谷もご多分に洩れず競馬競艇競輪にオートレース何でも揃っている。
だけに飽きたらず、まだるっこしい段取りはヌキだと道端で丁半博打まで御開帳となるのである。
少なからずとも心得のある人間なら、黙って見ているだけとはいかないだろう。

道端でサイコロ振って大丈夫なのかよと思うが、ちゃんとその筋の怖いお兄さんが見張っていてくれる。
(ま、それでも捕まる時は捕まるのだが。)
イカサマだって出来ない仕組みだ。
背景には、こんな小さな賭場をも「凌ぎ」にするその筋の台所事情もある。
流行って貰わなければ困るのだ。

サイコロを2つ振って奇数か偶数か、確率は2分の1というワケではない。
いや、「偶数のほうが出やすい」とかいうハナシでなく、長い時間やればやるほど確実に儲かる「胴」の存在があって、参加者は長い時間ゲームに参加するほどに吸い上げられ、最終的には「勝者」など居なくなるのだ。
それは競馬にもパチンコにも当てはまるコトであって、そんなコトはバカのフリをしている山谷のオッサンだって百も承知なハズだ。
なのに一日リアカーを引いて稼いだなけなしの銭を、食うこともなく鉄火場へ放り込む。
決して、「勝負しなければ食い繋げない」なんて動物愛護団体が喜びそうな理由はない。
単純に「好き」なのだ。
中毒なのだ。
依存症なのだ。

そして、無一文のまま路上で寒さに震える。
仮に、彼らに今晩の宿代を恵んだトコロで、一目散に鉄火場へ駆け戻るに違いない。
ソコまで密着して初めて「リアリズム」だろう。

暮れに上野駅で体調を崩し青白い顔をしたホームレスを見掛けた。
病院に行くカネが無いのなら、せめて交番で風邪薬でも貰って来なよと勧めるが、今日は疲れたからあしたにするよと言って通路の片隅に横になってしまった。
あまりの顔色に交番へ行き倒れを届けるが、事件が起きてから届けろと一蹴されてしまう。
翌日ホームレスが寝ていた通路を通り掛ると、寝ていた辺りにみかんが2つ、ワンカップ1つ、そして花。
あの後ホームレスは、午前5時に冷たくなっているのを発見されたらしい。
58歳だったそうだ。

ブルーシートに包まれライトバンの荷台に荷物のように積まれ運ばれて行くホームレスを見て、その人は警察の怠慢を罵ったというが、この生活から抜け出る方法はもしかしたらこれしかないのかもしれない。
もしそうなら、救助は楽になることへの妨げとなる。

還暦をとうに過ぎ、路上で寒さに震えながら炊き出しに群がる山谷の住人だって、まさか自分がこんなに永く生きているとは思わなかったハズだ。
思っていたなら、体の動く30代40代のうちに、何らかの手を打っていたと思う。
そんなの考えたくなくて、ただただ毎日をオモシロおかしく生きてきた。
ただそれだけのコトではないか。

90歳で大往生した母親が遺したカネで、海外旅行に行くヒトがいる。
自分は子供達に必要以上に遺しても意味がないのだそうだ。
母親は使い方が分からず、使ってしまって無くなるのが怖くて、高度成長期に溜め込んだ財を手付かずで遺した。

真面目に働いて税金を払ってきても、年金にはありつけない、年金だけでは生活できない。
そんな時代に、果たしてアリとキリギリスはどちらが正しかったのだろうか。

なんてカッコつけるつもりもないが、キレイごとだけ映して識者ぶってるんじゃねえよって、そんなハナシ。