いずい

dubrock2008-01-13


宮城あたりの方言で、どうもしっくり来ない感覚を指して「いずい」という言い回しがある。
この感覚について説明を求めると必ず「靴を右左逆に履いてしまったカンジ」と説明されるのだが、「だからどないやねん」という疑問だけが残る。
委細はともかく、「いずい」は「履き違えたカンジ」というコトらしい。

福岡市東区の「海の中道大橋」で06年8月にあった3児死亡事故では、加害者の元市職員に危険運転致死傷罪を適用することこそ「民意」・「世論」といった報じ方がされている。
このマスコミの切り口が「いずい」。
確かに、酒をしこたま飲んで父ちゃんのマジェスタでナンパに出掛けようとした加害者。
コイツが一番悪い。
しかしながら、結果的に3人の幼児が死ぬまでの大事故になった原因は、全てコイツにあると言っていいのだろうか。

きっかけを作ったのは確かに加害者だ。
しかし海から車両が引き上げられる事故当時の映像をみるにつけ思うのは、その被害車両の大きさ。
総重量2tを超える巨体に、必要性を感じられない大径タイヤ。
事故当時の道路管理者のインタビューにもあるように、もともと車両の突入を阻止するように設計された橋の欄干ではないとはいえ、「突き破って海に転落」は考えられない事態。
ドレスアップの目的で装着された必要以上に幅広で大径のタイヤがスピードを殺さずに路肩への乗り上げを可能にし、通常よりも重量のある車体だからこそ欄干を突き破ったとは考えられないだろうか。

そういう状況を作り出した被害者が良いとか悪いとかいうハナシでなくて、道路を走っていれば相手が酔っ払いかどうかはともかく「追突されるリスク」というのは付き纏う。
そしてたまたま追突してきたバカが酔っ払いで、運転していた車も2t近いパパンの高級乗用車。
そして運悪く乗っていた車は海中へ転落。
そんな悪条件が色々重なるから死亡事故というのが起きるのであって、ある一つの原因だけで起こるものではないと考えた時、裁判所の選んだ「業務上過失致死」すなわち「運転という業務をしている間に起こった、飲酒なり脇見なりという過失によって、結果的に人を死に致らせてしまった罪」という判断は、強ち不自然とは思えないのではないだろうか。

そもそも危険運転致死傷罪が作られるきっかけとなった東名高速の追突事故にしたって、「前方が渋滞して停車するのだから、後続車も止まるだろう」というのは認識が甘い。
通常停車してはならない高速道路の本線上に停まるのだから、ポンピングブレーキだけでは不十分。
「何度もブレーキランプを点滅させ、ハザードランプも点滅させ、後続車の注意を引きつつ最大限に時間をとってゆっくり減速し、後続車の動きをミラーで注視し減速動作を確認する」というのは最低限求められる動作であるし、なかなか難しいとはいえ「追突された場合にダメージの大きい大型車の前を走行することは極力避ける」ぐらいのことをワタシは考えるし、実際タクシードライバーの方にもそれらを励行している人は多いのである。

たしかに長時間酒を飲み続けて総重量20t超の大型車を運転し、あろうことか居眠りまでしていたらしいバカに最高刑5年の業務上過失致死では罪が軽い。
しかしそんなバカが後続車両に居たなら気付くべき、いや気付くぐらいの注意力をもって高速道路は運転するべきだし、減速せずに突っ込んで来たなら何らかの回避動作だって、考えられないだろうか、いや考えるくらいの心構えが、自動車を運転するならあってしかるべきだと思うのである。

結果的には運悪く燃料に引火して車両火災が発生し、幼い子供が焼死するという惨事になってしまったわけだが、自らが被った被害、被るかもしれない被害への社会的制裁を厳しく、重く求めるだけの風潮が「いずい」。
それが最大公約数での意見だと押し付けるマスコミの報道姿勢こそ「いずい」。
そう思ってしまうのはワタシだけだろうか。