ピニンファリーナ!
「ピニンファリーナ氏、交通事故死」というニュースに驚いた。
なんでも、
フェラーリなどのデザイン開発・設計を手がけるイタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナのアンドレア・ピニンファリーナ会長兼社長が、イタリア時間7日朝、トリノで交通事故のため死亡した。51歳だった。というコトらしい。
「ピニンファリーナ」って、誰?
というヒトの為にいちおう補足しておくと、ピニンファリーナはフェラーリにマセラティ、プジョーといった車のデザインを担当したデザイナー。
古くはAlfa Romeo Giulietta Spider (1955年)やFerrari Dino 206 GT(1968年)から始まり、Peugeot 405(1987年)にFerrari F50(1995年)やVolvo C70(2005年)までもが、「ピニンファリーナデザイン」と言われている。
といっても今回亡くなった「アンドレア」は創業者バッティスタ・“ピニン”・ファリーナの孫であって、享年51という年齢から考えても、その初期の作品にどれくらい関わったかは定かではない。
ピンと来ない?
馴染みのある日本車で言うと、410ブル
や130セドリック、
シティ・カブリオレ
なんかが「ピニンファリーナだ」と言われている。
ともかく、超有名な自動車(工業)デザイナーであって、その自動車業界への影響力は計り知れないVIPなのである。
そのピニンファリーナが、死んだ。
「どうせ、フェラーリあたりでいきがって、暴走運転の末の自爆事故だろうよ。」w
ストレートにそう思ってしまったのであるが、ヒトのハナシはよく聞くものである。
アンドレア・ピニンファリーナ会長は午前8時過ぎ、灰色のベスパ・スクーターに乗ってモンカリエリの自宅からカンビアーノの研究センターに出勤途中、78歳の男性が乗る赤のフォード・フィエスタと衝突、路上に投げ出された。これは不運としか言い様がない。
アンドレア会長は、近くの病院に運ばれたが死亡が確認された。
あ、「ベスパ」とは、あの名画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンがローマの街を乗り回していたスクーター。
そう、コイツのコトだ。
(たぶん、氏が乗っていたのは、もう少し多きいヤツだろうけど。)
それにしても、イタリア工業界をリードする重鎮が、朝から「ベスパ」で出勤とはイカしている。
さすがは「生きる為に食べるのではなく、食べる為に生きたい」イタリア人だ。
そんなワケで、最後に「赤のフォード・フィエスタ」の画像を掲載して、氏の冥福を祈りたいと思う。
でも、「78歳のおじいちゃん」が乗っていたのは、もしかしたらこの型なのかな。
合掌。