「F1」というビジネスモデルの崩壊

dubrock2008-12-16

週刊ポスト、今週の中吊り広告の見出しにこんなのがあった。

「ホンダのDNA」はどうなる?
「F1撤退!」本田宗一郎の“夢”が復活する日は来るか

まあ「煽り」専門の週刊誌中吊り広告。
記事の内容まで読んだワケではないし、ホンダのF1撤退を批判している内容でもなさそうなので、そんなに目くじらを立てるほどでもないのだが、ニュースを聞いた時から書きたかったネタなので、この際「ホンダのF1撤退」について書いておこうと思う。

もともとはバイク屋のオヤジである。
バイク屋」というのも当てはまらないかもしれない。
戦後の復興期に、自転車に発電機のエンジンを積んだ文字通りの「原動機付き自転車」を作った。
これが好評で、お客の喜ぶ顔が見たくて、寝食を忘れて仕事をした、と自伝にある。
材料が無くて燃料タンクは湯たんぽだった、というのは有名なハナシ。
当時の車両が「もてぎ」の記念館にも展示してある。

その後「スーパーカブ」が大ヒット。
そしてモータースポーツ参戦を発表し、当時最高峰である「マン島レース」に出場。
出る前から否定的な意見の中、その結果も散々で、世間からいい笑い者になった。
しかし自伝では、そのヨーロッパのモータースポーツ界が、敗戦国の東洋人に「殊の外寛大で、好意的であった」と綴られている。

その印象は、その後のF1参戦(第1期)でも変わらない。
彼らの態度が硬化したのは、間違いなく参戦第2期。
セナ・プロストマクラーレンで臨んだ黄金期以降ではないだろうか。

あの頃ホンダは、「してはいけないこと」をした。
まさに空気を読まなかった。
母国日本で、中嶋に、佐藤に勝利を期待するように、ブラジルにもイギリスにも「ご当地ドライバー」は居る。
それよりもなによりも、「世界最高のスポーツカーはフェラーリ」と信じて疑わない国民のイタリアですら、容赦しなかった。
明らかに「やりすぎ」である。

以降、度重なるルール改正により、ホンダが得意とするターボはじめ、エンジン周りの規制が厳しくなり、ホンダは勝てなくなった。
でもそれは、極東のイエローモンキーが物好きで参加したいと言う。
だから仲間に入れてやるという上からの目線から、「そうも言って居られなくなった」という変化の現れとも言える。
「味噌っ滓」ではなく「対等の相手」となったのだ。

そんな経緯を経たホンダのF1参戦第3期は、これといった成果も上げられずに幕を閉じた。
当初予定していた「エンジンのみの供給」では済まされず、シャシーから作らなければならなくなった。
それが最大の原因だろう。

もともと、ホンダは自動車の「シャシー」というものに、あまり力点を置いていなかった。
だから、「画期的なFFレイアウト」が話題になった「N」の時代から、峠のテンロクで敵無しだった「CR-X」まで、「バイクのエンジンを車に積んだだけ」という評価は変わらなかったのである。
大排気量、高出力のエンジンに、きしむボディフレームと向き合い続けたフェラーリとは、スタート地点からの歴史が違うのである。

でも、今回の撤退は「勝てない」が理由ではない。
「勝てない」を克服することは、即ち「シャシー開発」を克服することであり、それはホンダにとって大いにプラスになる。
「レース場は実験室」という本田宗一郎の精神にも結び付く立派な動機だ。
ソコで辞めるテはない。

しかし理由は「資金難」。
グランプリで上位を走るチームの冠スポンサーには各国で公的資金が注入され、「モータースポーツの国・アメリカ」でのグランプリ開催が、「資金難」により不可能となる時代なのである。
なのに国内では、帝国トヨタ日本グランプリの開催地を巡って提示金のマッチポンプ状態。
これでは資金が幾らあっても、間に合うワケがないのである。

資金難と言えば、チーム・スーパーアグリのシーズン途中での破綻が記憶に新しい。
もともと、参戦の段階からFIAに証拠金を吊り上げられ、エントリーの前日まで金策に奔走していたチームである。
破綻に驚きはないが、当時数千万単位の支援を示すスポンサーに対して、必要な金策は10億単位。
どだい埋まることのない、認識の乖離。
浮き世離れした金銭感覚の集まりに、F1はなってしまったのである。

とはいえ、スーパーアグリの破綻には、テレビ番組の取材を受け、そこで安易にマシンへのステッカー貼り付けを認めてしまったという、自業自得的な要素も否めないと思う。
あれが仮に、実は相応の広告料を払った上でのステッカー貼り付けであったとしても、「タレントの訪問を受け、頼まれて貼った」というカタチにしてはいけなかった。
あれでは、マシンに社名を掲げる為に、年間何億も拠出している企業に示しがつかない。

「頼めば貼らせてもらえるようなものに、ウチは年間何億も払っているのか?」

と聞かれて、担当者は何と答えればいいのだろうか。
これは、F1全体のビジネスモデルをも覆してしまう、「タブー」だった。
どんなに資金繰りに窮していても、一時の話題性欲しさにするべきことではなかった。
また、そういうコトを安易にしてしまうチームオーナーに対しての、資質だって大いに問われる。
つまり「アグリ」は、潰れるべくして潰れたと言っても、過言ではないと思うのだ。

しかしながら、「高額な広告料に見合う効果は?」と問われると、下を向いてしまうトコロがほとんどのハズだ。
モータースポーツの振興に貢献」なんてキレイごと並べたトコロで、「出せて1億」ではないだろうか。
そんなスポンサーから預かった大事なカネの使い方が、あまりに杜撰な現代のF1。

そんな金銭感覚の麻痺した世界での、百億単位での出費。
その「異常さ」を指摘するには、「参加しないこと」が最も効果的である。
カネを払いながらガタガタ言ったって、誰も聞いてくれないのである。

だからホンダの、「資金難による撤退発表」というのは、非常に有意義だと思う。
本田宗一郎の“夢”」というのは、こんなもんじゃないのだ。

そんなワケで、見出しだけ見ても「ちょっと外れてるカンジ」の週刊ポストではあるけれども、それを今さら記事にした意義だけは認めたい。
そんな「中吊りの見出し」だった。

「無駄にゴージャス」から脱却したF1が見られる日は来るのか。
FIAの良識に賭けたい、今日この頃なのである。