ガキにナニを期待するか

dubrock2009-04-12

このハナシを今書くと、いかにも結果論で語っているようでなんともいやらしいカンジがするのだが、

石 川 遼 マ ス タ ー ズ 予 選 落 ち !

の報に胸がすく思いをしたのは、恐らくワタシだけではないハズだ。
いやこのハナシ、日本のテレビの意向だかスポンサーの兼ね合いだか何だか知らないが、出場権もないのに「招待選手として出場決定」なんて騒がれた瞬間から、胸クソが悪かったのである。

石川遼
この選手を見ていると、「道具の進化」というものを感じずには居られない。
いや、もちろん、「本人の努力」というものあるだろう。
でも、「道具」。

もともと、「ゴルフは道具じゃない!」というのを持論にしてきたワタシではあるが、最新の素人用の「ユーティリティー」なんてのを目の当たりにすると、小難しい「5番アイアンでのセカンドショット」なんてバカらしくなってしまうのである。
バカでかいヘッドのドライバー振り回したあとは、ラフだろうがバンカーだろうが、「セカンドはコレ1本」。
それで素人でも軽々100切れてしまうのだから、プロ用の道具だってそれに見合うスイングが出来るようにさえなれば、結果は歴然である。

もともと、「旦那衆の道楽」であった「ゴルフ」にフィジカルトレーニングを取り込み、「スポーツ」としての地位を確立させたのは(コース上のマナーはともかく)「ジャンボ尾崎」であろう。
それに、普通ならば大学、早くても高校から始めるものだった競技ゴルフにいち早く「英才教育」を取り入れ、結果を出して実証したのが宮里に横峯。
特に横峯のオヤジは、いち早く女子プロの層の薄さに着眼し、「早くから始めれば必ず『稼げる』プレーヤーになれる」と言って憚らなかった。

それを後押ししたのが各種の新素材と技術開発による「道具の進化」だろう。

「あんな軽くてバカでかいヘッドの、そのドコに当たってもぶっ飛ぶドライバー」なんて、柿の木を削っていた時代には到底考えられないハナシなのである。

そんな、「スター選手」の割拠に人気沸騰の「女子プロ」を横目に、人気低迷に喘ぐ「男子プロ」。
花形選手はアメリカツアーに行ったっきりで、観客動員もなければテレビ中継すら無い。
これでは、冠スポンサーだって賞金出すのもバカらしくなってしまうのである。

そんな窮地に現れた救世主、それがアマチュア枠で思わずツアー優勝しちゃった石川遼」だったのであるから、男子プロゴルフ界がそれにすがらないハズはない。
なんか出来レースのような気もするが、奮わなかった昨年も終盤にトントンと運んで「なんだかんだで1億円稼いだ」というし、リーマンショックで青色吐息のマスターズを日本に中継するにあたって、「何か要望ある?」と聞かれれば、「(頼むから)石川遼出してくれ」というのは至極当然の成り行きと言える。

でも、だ。

そうは言ったって、通用するのは日本国内だけのハナシ。
アメリカツアーでもソコソコ通用しちゃった」というのでは困るのである。
それも、トッププロ憧れのマスターズでなんて。

そんなワケで、順当に予選落ちした石川遼に安心し、マスターズ出場を選手生活のモチベーションとしている片山選手の活躍を願って止まない。
そんな、日曜の朝なのである。

そして、石川一辺倒から掌を返したように片山に乗り換えるであろう日本のマスメディアに、「喝っ!」なのである。