幸せになれない。

dubrock2009-09-29

シルバーウイーク中は「秋彼岸」というコトもあり、近所の寺や墓場が賑わいを見せていた。
どれくらいの賑わいかと言うと、「立ち込める線香の匂いで『それ』が近くにあると分かるくらい」だ。
行楽を兼ねているとはいえ、たいしたもんである。

ご多分に漏れず、もう15年も前に亡くなった伯父の墓に行ってきた。
とはいえ、帰りにはその近くの熱帯魚ショップに立ち寄ったワケで、どちらが「ついで」かと言うとコチラがメインと言えなくもない。
ここまで、「ご多分に漏れず」なのである。

帰りの道中に、ウチの奥さんがこんなコトを言った。
「お義母さんもお彼岸に、お墓参りすればいいのに。」

この一言でお察しの方も多いと思うが、ウチの実家はこのテの宗教催事について「ちょっと変」である。
実例を挙げてみよう。

その1・実家に18になるまで居たが、その間「彼岸」を理由に墓参りに行った記憶が、無い。
まあこれは、「オヤジが次男で、参る墓が無い」というのもあったかと思うが、母親と結婚する前から懇意にしていた伯父の墓にすら、「(車が)混む」というただそれだけの理由で行かなかった。
車で2時間ほど、以前住んでいたこともある街だというのに。

ちなみに母親は今年の正月2日に突然、「墓参りに行こう」と電話を寄越した。
度肝を抜かれた。

しぶるワタシに母は、「ウチの実家(青森)では、お正月にご先祖に挨拶に行くんだよ」と力んだが、「そういうコト(墓参り)は、師走のうちに済ませておけ」という義母のコトバに一票を投じたい。

その2・七草はおろか正月3ヶ日でさえも、「四つ足」の獣を食すことを厭わない。
うーん、これは気にしている方が少ないだろうか。
小さい子供が居ては「気にしてらんない」という向きもある。
しかしながら世間では、少なくとも仙台近郊では、多少ムリしてでも忌避する傾向にあった。
そのことを会社勤めする二十歳過ぎまで、「知らなかった」のである。

こういうのは子を持つ夫婦のどちらかが「常識」として躾すれば宜しかろう。
そこへいくとウチの両親は、共に幼い頃に片親を亡くしている。
生家には仏壇もあったろうが、残った親が「そういうコト」に疎ければ「躾」もされるまい。
(生活に追われてそれどころじゃなかった、とも言えそうである。)
実際母親の姉妹など、実弟の告別式の後にファミレスでハンバーグを食しながら、久し振りの再会を祝していたくらいである。
それを見た我々子の世代が、「四つ足」に無頓着になっても致し方あるまい。
(ましてや「孫」の世代など、である。)

また父親が自衛官であり、「公務員の政治的活動禁止」を拡大解釈して、一切の宗教活動までも毛嫌いしていたのも一因と思われる。
これには、宗教だか政治だか分からない活動をする、創価学会(=公明党)の影響が否定しきれない。
(ワタシが小学生の時、同級生の父親が市議会議員に立候補して驚いたが、あれだって今思えば「学会さん」だったのである。いつも線香くさい彼だった。)

その学会(創価学会)について初めて知ったのは、大学に入ってからのことだった。
バイト先の近くに教団施設(「文化会館」ってヤツ?)があり、ソコの「事務長」と呼ばれるヒトが常連だったからだ。
妙にキチンとした身なりをし、物腰が穏やかで、平日の昼真っからヒマそうで、そしてカネ払いの良い客だった。

こんなに「イイ客」なのに、先輩の店員たちは見向きもしない。
なんならシカトして、「もう来るな」ぐらいの勢いなのである。
知らないワタシだけがいつも「サービス担当」だった。

そのバイト先の向かいには、地域のリーダー的な「熱心な学会員」が住んでいた。
何でも買う。
値切らない。

だから、

集会を開く時には、車を停めさせて。

そういう「交換条件の人」だった。
(もちろん「サービス担当」はワタシ、である。w)

時折勧誘に訪れるエホバのオバサンには閉口した。
ただでさえヒマな店に、「ヒマな時間」を狙ってやって来る。
布教だけなら追い返せるが、困ったことに「買い物」もする。
「客」である以上邪険な扱いは出来ない。

そういう店員心理に付け込んで、・・・

有り難い聖書のハナシを聞かされるのである。
当のオバサンに悪気が無い(あるように見えない)のがまた、会話を拒めない理由でもある。

聖書の教えを否定するつもりは無い。
しかしパンフレットに書かれているのは、「熱心に祈った信者が経験した奇跡のハナシ」であって、聖書とは関係ない上に「ウソくさい」ハナシ。

そんなパンフレットはオバチャンたちの私費により購入され、日々の布教活動に使われているというが、・・・

その献身的な姿勢が「カルト」と忌み嫌われるのである。
ただでさえ「輸血拒否により信者(の子)死亡」というニュースの印象が強いのである。
洗脳されて入信させられるリスクを考えると、興味本意でもハナシすらしたく無くなってしまう。

「エホバ」のハナシをすると、必ず思い出すコが一人居る。
どちらかというと嫁さんの知り合いで、ワタシとは結婚後のお付き合いだったので、ココに書いても差し支えなかろう。

地元では有名な企業の、有名な重役のご令嬢で、「お嬢様」である。
家もバカでかい。
本人は看護士の資格を持っていて、ソコソコの稼ぎがある。
性格も良い。

で、ブスなんでしょ?

とオチを言われるが、ところがどっこいそうではない。
「カワイイ」というよりはむしろ、「美人」である。
ヒンヌーではあるがスレンダー系の「美人」である。

ちょっとカマトトぶってメンドクサイ一面もあるが、独身男性ならそういう部分も含めて「好き」と言ってしまう、そんなコだった。

でも彼女、結婚出来ない。

相手が居ないのではない。
特定のカレシは常に居るのに、「結婚」が出来ないのである。

それというのも、母親が「エホバ」である。
姉が「エホバ」である。

本人も誘われたが、・・・

仕事柄輸血を行う立場にあるので、断ったという。
(じゃあ、そういう制約が無ければ入るのか!?)

一時は「家族付き合いナシ」という条件で縁談が進んだコトもあったが、結局破談になった。
(どうやら彼女が、最初から自分の家族を否定されたことに、納得行かなかったらしい。)

あれから4年。
おそらく彼女は、今でも独り身でいることだろう。

彼女の母親や姉は、彼女たちが精神的に不安定な時期を「教え」によって救われた。
少なくとも本人たちはそう思っている。

だがその「教え」に忠実であるがばかりに、自らはもとよりまだ分別のつかない我が子の命まで厭わない姿勢、これは社会問題にまでなった。
狭いことを言えば、彼女たちの信仰によって妹は幸せになれないでいる。

これほどまでに、宗教に縛られた生き方というのも如何なものだろうか。

しかし方やでは、ついさっき骨を拾った手でハンバーグをつつき、まあ余程のことが無ければ墓参りもしない。
そんな「あまりに自由」な生き方もどうかと思う。

ほどほどの宗教観と適切な判断をするに足る「偏らない情報」が世の中には必要と思い、こんなものを書いてみたのだが、どうだろうか。

全然足りねぇってかー?w