尊厳死志願

dubrock2009-10-26

「末期がん」の宣告を受けたオヤジが入院して、丸2週間が経った。
入院直後は、緊急輸血、大量下血、モルヒネ投与と悪化の一途を辿り、「もはや」と覚悟するくらいの状態であったが、ここ1週間ぐらいは容体も落ち着き、「一時帰宅」も考えられなくはない状態になってきた。

「容態が落ち着いている」ということは、つまりは「何もない」ということ。
点滴で水分と糖分を24時間投与され、心拍数を無線で監視された状態で、「そこに居るだけ」。
「病院」ってなぁつまり「そういうトコロ」なワケで、「何もない人」が居る場所ではない。

「末期がん」で手の施しようがないとはいえ、本人にしてみればそれは「医療費稼ぎ」に映るらしく、日に数度の検温だけで「差額ベッド料」の積みあがる現状には大いに不満のよう。
その不満は、久しぶりに訪れた息子の顔を見るなり噴出した。

つまりは、「家に帰りたい」ということ。

胃に大きな癌細胞があり、そこからの出血を抑えるために「水分禁止」、「飲食禁止」の措置が取られてはいるが、ほんの2週間前までは普通に食事をしていたワケであるので、せめて流動食が摂取できるくらいになれば、自宅での療養でも大差なかろう(その結果が「緊急入院」だったのだが、)というのが言い分であって、母はそれを担当医に伝えきれていない。
「なので、オマエ(つまり「私」)が直接言って来い。」
という直々のお達しにより、「多忙」を理由に逃げ回っている担当医を追っ掛け回すこととなったのである。

ナースステーションの前で待つこと3時間、病院滞在6時間目にして、ようやくその時は訪れた。
(つか、急患対応でホントに忙しかったみたいなのだが。地域医療に携わる勤務医って、ホントに多忙である。)

これまでの経過を繰り返す担当医殿。
本人からの申し出はもちろん伝わっており、翌週から「流動食」も提供してみる予定では居たのだが、「次」に引き受ける医療機関(こういった在宅ケアを引き受ける医療機関が都心にはあるらしいが、こんな片田舎では聞いたコトがない、と。)が決まらないままに、みすみす「末期がん」の患者を自宅に帰すような真似はできないというのが、その本意らしい。
見た目は頼りないが、中身はやっぱり「医者」だったのだ。
(というか、仮に医師本人が帰宅させようと考えていたとしても、「病院」としてはそうはいくまい。「末期がんの患者を投げ出した(放り出した)」なんて噂を立てられては堪らないのだから。)

このことについて、お世話になっている医療関係の方に相談してみた。

その方の「義理の姉」という方が、アメリカで父が希望するような最期を迎えた経験があるというのだが、モルヒネだけを投与され、自力で食物を摂ることができなくなり衰弱死に向かう「姉」を、「ただただ見守るだけ」というその終末医療は、「人が言うほどキレイなものではなかった」とのこと。

それよりも、本人にもあまり時間が残っていないことを包み隠さず伝えて、意識のはっきりしている「今」をもっと大事にしたほうがいいのではないかというご意見が、妙に重いものとして印象に残った。

翌日顔を出すと、「次週から流動食が始まる」の報を嬉々として伝える父。
(ま、「知っていた」けどね。)

無理矢理連れ帰り、「死ぬ覚悟」で最後の焼酎を飲ませてやるべきか、このまま病院で静かな最期を迎えさせるべきか。
その結論は、とりあえず「流動食」の経過を観てから考えることにする。

自ら命を絶たなければ、「人間」ってなかなか死なないものなのである。
「死ねない」ものなのである。