何もしない勇気

dubrock2009-11-01

どうせ生きちゃいないよ。

なんてお茶の間でビールでも飲みながら、他人事で眺めていた八丈沖の漁船転覆事故。
まさか転覆した船底から、4日ぶりに3人もの生存者が救助されるとは思わなかった。
あの狭くて暗い空間に身を寄せ合って4日間。
それは途方も無く長い4日間であったに違いない。

当初その狭い空間に閉じ込められたのは、船長を除く7人。
うち4人が脱出口を求めて行動を起こし、現在行方不明である。
そして「行動を起こさなかった3人」が、無事救助された。

だからといって、7人が7人ともそこに留まったとしても、酸素や水など「必ずしも」全員が助かったかどうかは定かではない。
「行動を起こした4人」が「残った3人」を助けたとも言えるし、もしかしたら「行動を起こした4人」の方が先に救助されたかもしれない。
この辺は「神のみぞ知る」領域なのだ。

ただ1つだけ言えるのは、

「何もしない勇気」

というのもあるということだ。


「末期がん」の宣告を受けたオヤジが入院して、丸3週間が経った。
今週オヤジは、







死にかけた。


入院2週目が殊のほか平穏だったこともあり、「本人、家族の起っての希望」で帰宅に向けた第一歩、「流動食」が始まったのであるが、これが思いのほかに順調。
「病院に内緒で塩昆布少々」を所望し、丸2日の「重湯」に不満を言い、ついに「3分粥」が出された流動食3日目の朝、大量の下血となった。

「下血」は食道直下で大きく成長した「がん」からの出血によるものと考えられる。
こうなると日に3度4度と下血を繰り返し、極度の貧血状態になる。
これは入院直後の状態と一緒だ。

数日の後、胃からの出血が収まれば「下血」も沈静化する。
今回も昼過ぎに「父、下血」の連絡を受けた時も、そういうもんだと思っていた。

ところが、「とりあえず来い」と言う母が妙に取り乱していたので、「父」というよりはむしろ「母」のために病院へ向かうことにした。
こういう場合、家族が心労で倒れることも珍しくない。
「看取る」というのはそれくらい労力の要る仕事なのだ。

病院に着いたのが午後3時。
ついさっきの下血では「トイレで倒れそうになった」と言うが、当の本人は意外に平静な顔でそこに居た。

「今日はなんで来たんだ?」

「知らぬは本人のみ」の状況で、先週に引き続き「また顔を出した息子」を不審がるオヤジ。
「退院と自宅療養に向けたソーシャルワーカーとの打ち合わせで」なんてテキトーなことを言ってはみたが、そう易々と自分の息子に騙されるほど耄碌してはなかろう。

「ふうん。」

と黙って聞いてはいたが、何を思ったか。
喋っているうちに、取り乱したように慌てて跳ね起き、ベッド脇の簡易トイレに座る。

本日3度目の下血。

その、「尋常ではない余裕のなさ」に、「わざわざ呼ばれた意味」がなんとなく分かってきた。
あんなに「切羽詰ったオヤジ」を今まで見たことが無い。

と、同時に、事ここに至っても、「粗相」を決してしまいと必死の「オヤジ」が「いかにも」であり、また「意識のはっきりしていることの不幸」が有るものだとも思った。

「下血」は胃などからの出血が、ただ「糞」として排出される、そういう現象だと思っていた。
ところがココまで重症化すると、それは「とてつもなく強い便意」であり、それが本人の意思とは関係なく不意に襲ってくるもの。
そして、病巣からの出血によるそれは「尋常ではない臭気」を伴うものだということが分かった。

「そんなもの垂れ流せるか。」

というオヤジの声が聞こえて来そうだし、「そのプライド」が容態をここで留まらせているのかとも思う。

そんなコト言ってるうちは死にそうもない。

そんな気がしないでもないが、夕方急遽行なわれた医師との面談では、「お亡くなりになるかもしれません」という予想外のコトバが、意外にあっさり告げられた。

医者って、結構ハッキリ言うものである。

3日前から始められた「流動食」が、今回の下血の引き金になった可能性は高いけれども、「何もしなくても」そうなっていた可能性は多分にある。
今後もそれは変わらないというコトだ。
(そりゃそうだ。「がん」が治ったワケではないのだから。)
とりあえず輸血をし、明日以降はまた「禁水」、「禁食」。
それで平静を保てればまた、「帰宅」というハナシが出来ないでもないが、日に3度も4度も下血する今の状況から脱せなければ、「もしかしたら失血死」という事態も有り得る。

そんなコトを言われ、太ももに輸血用の針を入れられたオヤジは身動きできなくなり、「家に帰っていろ」とだけ言って目を閉じた。
(その後「動けないつらさと痛み」に一晩悶絶したらしい。)

それから3日間。
最期の「3分粥」まで全てを出し切ったトコロで、オヤジの下血はひとまず沈静化した。
(ちなみに1回目の下血直後に出された「昼の3分粥」は、流石に箸を付けていなかったらしい。)

「最期の食事」が「味気の無い塩分5%の3分粥」では可哀相。

そんな気がしないでもないが、ここでも「何もしない勇気」が求められているのだろうか。

そのむかし海上自衛隊の装備品展示で見た、「救命いかだ」搭載品に書かれた言葉を思い出した。

あきらめるな!
助けは必ず来る!

「船底の4日間」よりも長い時間である。
オヤジに「助け」は、来るのであろうか。