所信

dubrock2010-01-02

喪中なので今年は「初詣」はナシ。
ビッグダディ」なんか観てウトウトしてるうちに新年が明けてしまって、なんだか締まらない「お正月」である。

「一年の計は元旦にあり」なんて言われているが、・・・

いつの間にか「初日の出」は頭上高く上がり、行き先の選択肢から「神社」が外されてしまうと、残念ながら他に行く当てもナシ。
昼間から酒を飲めば、もう完璧な「寝正月」である。

そ れ で イ イ の か ! ?

というコトで、今年一年の所信を表明したいと思う。

つって、新聞の一面に写真入りで「金メダル」とか言えないのが辛いトコロ。
書いてる本人が「ちっちぇーなぁー」と思わず大声を出してしまいそうなのだが、恥を忍んで書き記しておくコトにする。

まず第一に、「出会いを大切にする」というコト。
そう痛感するぐらい、ここ数年出会った人とは「何も起こらなかった」。
お互いに感じるトコロがあるというのに、面白いぐらいにそれが「モノ」にならないのである。
そういうジレンマは、今年はご免被りたい。

そして次に、「墓を買う」。
なんだよ、いきなり物欲かよ、なのだがコレが奥の深い問題で、オレにしろオヤジにしろ永いこと居が定まらなかったのは、「守るべき墓が無い」というコトに起因していると最近思うようになった。
(ってか、実際そういう指摘も受けたのであるが。)
そもそもオヤジの実家の墓というのが墓石もない粗末なもので、「若くして死んだオヤジの母親の供養すらマトモにしていない」というのが根っこにある様なのだが、幸か不幸かオヤジは次男坊。
本家のことは追い追い考えるとして、まずは分家の初代である「オヤジの墓」をどうにかすることにする。

ざっと調べてみたトコロ、千葉県の北部には「宗教不問」の霊園が多く、市町村が主体となった「公営」のものも数多くある。
しかしながら、「閉鎖的」な南房総にそんな「気の効いた」モノはなく、寺の一隅を「宗教不問」と銘打って開放した墓地では、「墓石」で吹っ掛けられてしまった。
(当たり前やねぇ。)

県北の墓地ではこれから老いていく母親が一人で参るワケにも行かず、さて、どうしようか、といったトコロに舞い込んだのが、近所の寂れた寺のハナシ。
区画は格安で、坊主は掛け持ちだからあまりうるさいコトは言わないらしい。
県北から「安い墓地」を求めて問合せが多数らしいが、「地元優先」というコトで断っているのだそうだ。
(閉鎖的で良かった良かった。w)

ただ問題は、「コテコテの寺」であるコト。
いくら自由な時代とはいえ、流石のオヤジも「俗名のまま」とはいくまい。

それは故人の遺志に反する

のだが、最近の環境規制も知らないで「散骨」とかぬかしたオヤジも悪い。
このハナシ、上手く纏まったら「百カ日」あたりで、オヤジには悪いが仏門に入って頂くコトとしよう。
(ってか、いつまでも骨壺置いとくワケにも行かないんだよ、オヤジ。)

あとは、「車買いたい」?
やっぱり物欲だな。

でも、なんだかんだで12月のガソリン代が5万とかなってくると、
「燃費の良いハイブリッド車のガソリン代差額で、ローン払えるんじゃね?」
なんてなコトを考えてしまうのですよ。

あとは「銀座に事務所」構えて、株やって、・・・

なんだか「やわらか戦車」みたいになってきたのでこの辺にします。
実り多き一年を祈念して。

ちなみに「バンクーバー」では、毎度代表選考の度に変な力の働く「フィギュア」ではなく、スピードスケートの高木美帆選手(15)に期待したい。
決して、那須高原で「いなかぐらし」しているオバチャンのコトではないです。