最近の悩みごと
ここ最近、人生史上「最も」と言っていいほど、新聞を熟読している。
と、言っても自宅で購読しているワケではなくて、よく出入りする先に新聞が置いてあって、ソイツをじっくり読む時間があるからだ。
その「出入り先」が、経費節減のため「今月いっぱい」で、新聞の購読をやめるという。
前回の記事で、「『いぬ(ねこ)のきもち』や『デアゴスティーニ』が定期購読で仕掛けるビジネスモデル」について書いた。
「買わずとも宅配されるモデル」すなわち、「家計の固定経費化を押し付けるモデル」というヤツだ。
考えてみれば、「新聞」はこのモデルの草分け的存在である。
のみならず、「宅配を維持する為には価格の維持は必須」と、このデフレの世の中に全くもって逆行した主張を、それも堂々と言い放ってしまうとんでもないヤツである。
その「新聞」が、読めなくなる。
「なら(自宅で)、取れば良いだろう」
なのだが、月々数千円を、我が家の家計の「固定経費」に入れたくない。
「記事が価格に見合わない」
というのが、その最たる理由なのだが、挙げれば理由は他にもある。
首都圏近郊から東北にかけては「読売新聞」のテリトリーであり、誌面もそれなりに厚い。
しかしながらココは、「買って当たり前」とトップが言って憚らない。
自分が世の中を動かしていると思っている。
そういう体質の新聞社である。
こんなトコロに毎月カネを払いたくない。
それは、死んだオヤジの遺志でもある。
(タダで読むぶんにはイイんだろうけどね。)
オヤジが「読売」の代わりに取ったのは「毎日新聞」。
以来実家はずっと毎日新聞であるが、
…
正直、「読み応え」が無い。
誌面が「薄い」のである。
新聞の「表」は四つ折りにした時「外側にくるほう」であって、「テレビ欄」は「裏表紙」にあたる。
その「一面」のトップの記事というのは、テレビで既に周知の事実であって、わざわざ紙に印刷して届けさせるほどのもんでもない。
新聞にとって大事なのは、「中身」。
「中身」と言っても、一面記事の関連とかじゃなくて、そういった記事の合間に埋め込まれる、いわゆる「穴埋め記事」と呼ばれるヤツだ。
「京急が2月22日にゾロ目切符を発売するよ」とか、「第一生命が4月1日から株式会社になるよ」とか、そういったテレビで流れないニュースにこそ、「新聞」の価値があると思うのだ。
今日日偏った主義主張が読みたくて、毎月数千円も払うヤツなんて「まず居ない」のである。
で、だ。
「もし」購読するとして、その新聞の選定に困っている。
カミさんは、「チラシが入ってさえいればいい」と言うが、
…
やっぱり「日経」だろうか。
あれも独自の紙面構成ではあるが、極端に経済ニュースに偏った造り。
というか、肝心の経済ニュースの切り口がイマイチ…。
ちょっと前にキムタクが宣伝してた「産経ビジネス」にでもする?
それじゃ、雑誌買ったほうがまだマシっぽい。
じゃあ新聞は読まなくてイイのかというと、それはそれで困る気がする。
結局、
「タダで読むのが一番」
なのだが、大阪府ですら新聞廃止を掲げる昨今、購読申し込みをするべきか否か、そればかりが気掛かりの、今日この頃なのである。
ちなみに、「二番目」に新聞を読んだのは17の頃。
「国語の学力アップには、朝日新聞の天声人語が良い」
とガッコのセンセに言われて、家にあった読売新聞の「編集手記」を読み漁った時だ。
インテリぶって、やや左寄りの「国語のセンセ」が、何故朝日新聞を薦めるのかもよく分からなかった頃のオハナシである。