ちょ、ちょっとまって!教授がいま何か言った!!

dubrock2010-05-10


津軽三味線の「吉田兄弟」が、今夏地元館山にも来るらしい。
入場料は、「お一人様5000円、前売り4500円」。
この不景気の時代に、そこいらの「自称アーティスト」が3000円でも客が入らねぇとヒイヒイ言っている時代に、結構なカネを取るものである。

「結構なカネ」だが、・・・

やっぱり生オトで聴いてみたい!
というコトで、清水の舞台から飛び降りてチケットを買ったうちの母は、ナニを隠そう津軽の出身である。

でも、彼らの演奏、「生」で聴いてみる価値は大いにあると思う。
(直前で知り合いからチケットが回ってきたら、是非連絡してほしい。)

「【音楽】坂本龍一「タダになった音楽は再び『ライブ』へ回帰する」 音楽の未来を予言」というスレが2ちゃんに立った。

ソースは「すごもり」。

「すごもり」?ハァ!?

なのだが、「すごもり」は「〜休刊になった『ネトラン』ヘンシュッチョの家ナカ生活〜」というコトらしい。
ああ、「ネトラン」。
ハイハイ。(ムカシアッタナソウイウノ。)

そんなワケで、真偽のほどはともかく(というかどうでもよくて)、早速タイトルでおおよそ予想のつく記事を読んでみることにする。

坂本龍一「タダになった音楽は再び『ライブ』へ回帰する」

音楽業界のエグゼクティブが、上から目線で「音楽はタダという間違った認識が蔓延している」と発言したことが話題になり、坂本龍一さんが、「季刊 analog&Phile」のweb特別インタビュー(2009年09月01日掲載)で語った内容が再び注目されている。

既存の音楽ビジネスが世界的に下降線をたどっているのは事実だが、音楽の消費や需要は増えている現状にあって、これからの音楽の未来を予見するものとして重要な示唆を含んでいる。

レコードやCDというメディアを通して音楽を聴くスタイルは、レコード誕生以後の約100年くらいの歴史しかない。メディアの誕生と共に現在の音楽ビジネスの仕組みが構築され、ミュージシャンとその周辺の人たちの生活を支える一大産業となった。
しかし、坂本さんは「この100年くらいでコンテンツはどんどんゼロに近づいている」と指摘。

追い討ちをかけたのは、インターネットを通じた「音楽配信」。パッケージ化されていない音楽データのやり取りを経験したリスナーは、既存の音楽ビジネスが時代に追いついていないことを敏感に察知。
というのも、我々リスナーが音楽の対価として支払っていたものは、「実は製造や運搬というパッケージのためのコスト」(エグゼクティブの人件費含む)だったことが、露わになったのだ。

「音楽はどんどんタダ化が進んで、プライスがゼロに近づく」と語る坂本さんが示す音楽の次なるかたちは「ライブ」。
現在の音楽ビジネスが誕生する以前は、音楽は目に見えないものだった。
「音楽が目に見えない、触れられないデータ化されたものになっている今、もう一度音楽のおおもとのかたち − ライブへの欲求が強くなっている」。
この傾向は非常に面白い変化だと、坂本さんは語っている。


ミュージシャンとリスナーを分断していた音楽業界そのものがなくなるということはあり得ないが、音楽パッケージビジネスが縮小していくことは間違いない。
その代わりに、アーティストとリスナーをつなぐ場所としてインターネットの役割が重要性を増していくだろう。
アーティストとリスナーが一体となって作り上げるライブイベントや128bpsなどの低音質の音源の無料配信、関連グッズのWeb販売など、やるべきことはまだまだたくさんある。


ソース:すごもり(05/08)
http://www.su-gomori.com/2010/05/post-492.html

文中冒頭の「音楽業界のエグゼクティブ」というのは、たぶんこのハナシだろう。
法改正も意識不変 違法ダウンロード激増、音楽配信も急ブレーキ (1/2ページ) - MSN産経ニュース

オリコンの小池」と素直に書けばいいのに、とかいうハナシは置いといて、教授のハナシに戻ろう。
注目すべきは「坂本龍一さんが、「季刊 analog&Phile」のweb特別インタビュー(2009年09月01日掲載)で語った内容」
http://www.phileweb.com/interview/article/200908/31/25.html
である。

坂本龍一
「YMOと言えば坂本龍一」というぐらいに1人で目立ち、後に映画「ラストエンペラー」の音楽なども手掛けた。
“教授”と呼ばれ、当時の音楽業界の最先端を行っていたと一人だと思う。
この「ラストエンペラー」の頃、教授の作品を聞き漁った高校生のボクは、周囲から「オタク」扱いされましたとさ。
(結局「NeoTechnopolis」落ち着いたけど。w)

それにくらべて「あとの2人」、

YMO

細野晴臣と右側のヒゲはなんつったっけかなぁ(元サディスティック・ミカ・バンド高橋幸宏さんですよ!)、は影が薄くて、でも最近ではInterFMでそれぞれラジオ番組を持っているらしくて、その2人がむかし喋っていた内容によれば、“教授”は、なんか1人で、海外になんか住んじゃって、めったに会わないけれども、「なんか」やってるらしいですよ、とのコト。
(そうそう、“教授”の発言の主旨である「音楽は配信がメインになる」はイギリスあたりではもうかなり前から言われていることのようで、伊達に海外生活しているワケじゃない、というのがこの辺りの発言になってくるのだろう。)

もともとYMOは、コンピュータといえばインベーダーゲームが精一杯の時代に、「シンセサイザー・コンピュータを用いた」というトコロが新しくて、それは“季刊 analog&Phile」のweb特別インタビュー”でも相変わらずのようで、つまり“教授”はかなりコッチ側のヒトなんだろう。
(音楽以外では、「奥さん以外に子供が居ます」みたいにかなりのぶっ壊れ方だけど。w)

そんなワケで、「音楽」を巡るビジネスモデルが転換期を迎えている今、既存の地位を振りかざして既得権を主張するのは、見苦しいというそういうハナシである。


教授