計画停電の街

dubrock2011-03-21


街道筋の交差点ごとに警察官が待機していることで、付近に「計画停電」が近いことを知った。
と、次の信号は消灯していた。
付近一帯は既に停電していたのである。

じゃあ、さっきの信号は?

大きい交差点の信号は消えないのかな。
そうも思ったのだが、それもどうも違う。
よく見れば警察官が信号に発電機を接続して、“かろうじて”信号制御を行っていたのである。

とはいえ、発電機の数にも限りがある。

発電機を配備されなかった交差点では、警察官が体を張っての交通整理を行っていた。
何ともご苦労様なハナシである。


今日は朝から、首都圏の電車が“ほぼ通常運行”である。

とはいえ“ほぼ”であって“通常”ではない。
それゆえ、緻密なダイヤ編成を要する“直通運転”は行われず、運行区間ごとに行ったり来たり。

その不便さと、いつ止まるか分からない不安からか、日中の利用者はまばら。
“ガラガラ”な区間も珍しくない。

そんなモノのために、・・・

電源を切られ交通整理に追われる警察官くらい、虚しいものはないだろう。

「節電しろ」と言われれば早々に運行を諦め、「運行しろ」と言われると不完全な“平常運行”を行う。
鉄道会社には“バランス”というものが無いのだろうか。

そうやって確保された電力でもって、駅前のパチンコ店はネオンやエアコンを停止しての“節電”営業中だそうである。
その貼り紙の空々しさに笑いがこみ上げてくるのは、私だけではないみたいだ。
バランス感覚が欠落しているのは、何も鉄道会社に限ったコトではないのである。
ココは極右の石原都知事あたりに、極論を賜りたく思う今日この頃である。


それにしても福島原発については、“やっちまった”感が否めない。

あの吹き飛んだ建屋を前にして、“これも想定の範囲内”という学者の空々しさ。

地球温暖化対策にCO2削減、

モーダルシフト

電化、

エコ、エコ、エコ・・・

ここ10数年向かってきたその方向性が、ものの見事に否定されてしまった瞬間である。
これで日本国内はおろか、世界の原子力エネルギー政策が停滞、また方向転換を余儀なくされることだろう。

“絶対に安全”と豪語した原子力施設から、高濃度放射性物質が撒き散らされているのである。

おそらくこの後に行われる議論を予見して今から書いておくが、それでも原子力エネルギー開発は継続するべきだと思う。
エネルギーを輸入に頼る、頼らざるを得ない島国日本において、今後も火力発電に依存した電力供給ほど、危ういものはないのであるから。

と、ガソリンが枯渇し、ケツを拭く紙にも事欠く首都・東京から、そんなことを思っている。
不幸にも被災した方々から比べれば、ゴミみたいなハナシであるが。