オレのゴミ

ホームレスが電動自転車で空き缶を回収する朝、いかがお過ごしでしょうか。

最近のエコロジーとかリサイクルとかいう運動の波及により、「空き缶」もまとめればソコソコのお金になるようで、ゴミ箱から「プルタブ」のみをちまちま取っていたのも過去のハナシ。
今では資源ごみ回収日ともなると、謎のリアカー軍団が大挙して押し掛け、出された「資源」を根こそぎ持っていってしまいます。

トラックを持つ、又は運転免許を活かしてトラックを借り、古紙を回収して歩く組はまだマシなほうで、多くは住所不定ゆえに運転免許の書き換えなども出来ず、自転車で空き缶を回収する組が大半。
その「空き缶組」にも階層があるらしく、最初は「自転車」や「手押し台車」などから始まり、究極はやはり「リアカー付き自転車」となり、その格付けの根拠は「空き缶がどれだけ積めるか」というコト。

皆さん様々な理由で住まいをなくし、様々な理由で社会に順応できずにはみ出し、そのほとんどが河川敷にお住まい。
にもかかわらず、そんな「空き缶組」も見事な階層社会を形成して、その頂点にはちゃあんと「元締め」がいるから不思議です。

朝一番、夜明けとともに出動して、お昼前、リアカーがいっぱいになったらおしまい。
それで、今日1日食べるお弁当が買えればそれでいいワケですから、ノルマに追われて毎日深夜までサービス残業、仕事のために生活しているのか、生活ために仕事しているのか分からない、なんてヒトと「どっちが幸せ?」と聞かれると、容易に判別しにくかったりします。
仕事で鬱になるコトを考えたら、「今は」、もしかしたら「空き缶組み」の方がいいかもしれません。
「将来は?」と聞かれたら、アリとキリギリスなんでしょう。

で、そんなリアカー軍団に、半ば「組織的」に回収というか、強奪されて行く資源たち。
「ゴミ」といえば「ゴミ」であり、集積場に出された時点で排出者は所有権を放棄していると見なせるが、それにそれなりの経済的価値があるなら、収集しているほうからすれば「それはオレのゴミだ」と言いたくなるもの。
そんな行政とホームレスの戦いは、しばらく続くことでしょう。