ああ言論の自由ね

小説「悪魔の詩」日本語版を翻訳した筑波大学助教授が殺害された事件の、時効が成立したんだそうで。
それでも、「海外に逃亡中は時効が停止する」というコトなので、警察は継続して捜査を継続する方針なんだとか。

そもそも、原作本がイスラム教を冒涜しているというコトで、イスラム教圏で猛反発されていたのは、そして各国語への翻訳者までもが襲撃されていたというのは、中東を研究し、その本を翻訳しようとしている方ならご存知だったハズ。
そしてそのイスラム教には、「過激派」と呼ばれる暴力的な行動も辞さない集団が存在するということも、当然ご存知だったハズ。

ならば、だ。
ヒトが嫌がる(嫌がっている)コトをしたのである。
その行為に対して、制裁とも取れる行動が行われたとしても、果たして100%被害者だと言うコトが妥当なのだろうか。
別に殺人を肯定する気も、テロを肯定する気もさらさら無いが、「危ないから近寄らないで下さい」とわざわざ政府がアナウンスしている地域に出向いて行って人質騒ぎを起こした「邦人某」同様に、その「最悪の場合」についても想定のひとつとして考えられたのではないだろうか。

宗教に限らず、自分の思い入れのあるものに対して酷いコトをされれば、当然のように怒るハズだ。
それが「宗教」ならばその傾向は強まり、「偶像」と呼ばれるものを崇拝している側からすれば、その崇拝の対象を邪険にされればそれは自分自身を否定されたかの様な錯覚に陥るハズである。
朝に晩に頭を地べたに擦り付けて拝んでいるモノを踏みつけられたら、誰だって憤慨するハズだ。

で、なぜこの「時効」のニュースをマスコミがしきりに話題にするのかと疑問に思っていたが、それは残された遺族への配慮でも逃亡中の犯人逮捕の為の捜査協力でもなく、それが「言論の自由を脅かす」からの様だ。
「出版」という言論行為に対して、暴力的な手段でこれを阻止しようとする向きは、即ち「言論の自由を脅かす行為」という理解なのだろう。
彼らにしてみれば、自分達の活動を妨害するものは即ち「言論の自由を脅かす存在」であり、戦時中の言論統制即ちファシズム再来への第一歩だというコトなのだろう。

いかにも、「自らが正義」であり、また「唯一の正義」であるかの様な尊大さ。
彼らのそんな「正義」で踏みにじられた数々の人権はどうでもいいのだろうか。
子を亡くした親を追い掛け回してインターホン越しにコメントを求めて、それが正義であり「知る権利」であり「言論の自由」だというのだろうか。
視聴率とスポンサー第一のくせに、と言いたくもなる。

トコロで、あのジダンがワールドカップ勝戦で起こした退場騒ぎ、あの原因がテロリスト呼ばわりされたからだとの一報もあった。
ジダンイスラム教徒らしいが、それだけでそう言われてしまうのも悲しいことだ。
逆に言えば、サッカーというスポーツは「紳士のスポーツ」と言われる割には、審判に見つからなければ何でもアリ、なスポーツでもある。
ソコまで突き詰めた時に、どうしても受け入れられない自分がいる。
「そんなんぢゃ勝てない」のだろうけど。