卒業文集

今日の話題は、自ら放火した家屋の様子をブログにアップしていた、グラビアアイドル志望の「くまぇり」。
放火容疑で任意同行を求められながらもグラビアの撮影会に参加して、結局「逮捕」されたんだとか。

不審火と思われる火災が頻発して、その現場にいちいち居合わせた不自然さと、それをわざわざ写真付きでブログに掲載する不思議。
まぁ捕まって当たり前と言えば当たり前だし、実家の居酒屋が臨時休業で、それでもお父さんが突撃インタビューされる光景というのも、「放火」という罪の重さを思えば当然の成り行きだろう。

文明の象徴である「火」はその使い方によって、益にも害にもなる。
それゆえ、不適切な火の使用はタブーであって、タブーを破った者は厳しく罰せられるのが「近代文明」のセオリーとされている。
そういうコトなのだろう。
実刑で懲役5年とも10年とも言われているが。

それよりも、このテの特異な犯罪が起こると必ず、犯人の「人間性」を掘り起こすべく持ち出されるのが「卒業文集」。
まだ同級生にそういう犯罪を犯したヤツがいないので分からないが、やっぱり同級生のトコロには「卒業文集ありませんか?」とか「卒業文集貸してもらえませんか?」とかいう電話が掛かってくるのだろうか。
ドコからともなく調達された卒業文集から、小学校、中学校、高校と卒業時に記された「将来の夢」とかがクローズアップされて、こういう面があった、ああいう面があったと勝手なコトを言われてしまうが、果たしてアレを書いた当時どれほどの真剣身をもって「将来の夢」を書いたというのだろうか。

正直自分が卒業文集にナニを書いたかなんて、覚えていない。
三度ともとくに将来の夢などない状況で、卒業文集に「将来の夢」を書けと言われて、「強いて挙げれば・・・」な漠然とした思い付きを書いたのではないだろうか。
そんな自我も形成される前の昔のハナシを穿り返されて、「今」の人間性について語られたくはないものだ。

と、急ぎ実家に帰りその「卒業文集」とやらを確認したい衝動に駆られる、朝の風景なのでした。