負けた奴は、裸になる

阿佐田哲也の名作・麻雀放浪記からの一節。
あまりにインパクトのあるこのコトバは、当時映画宣伝のコピーとしても使われた。
映画本編では鹿賀丈史演じる「ドサ健」が、勝負の途中で死んだ「出目徳(でめとく)」をリアルで丸裸にして、勝負の厳しさというか掟というか、そういうのを浮き彫りにしていく。

「負けた奴は、裸になる」とはよく言ったもので、太平洋戦争で負けた日本も文字通り「丸裸」にされた。
それについてとやかくいうコトは「負けた日本」にはなんにも出来ないワケで、「原子爆弾」という以後「ご法度」となる終末兵器が使用されたというコトも、開戦当時明確な定義の無かった「A級戦犯」という罪状で裁かれるというコトも、そもそも東京裁判自体が軍事裁判であり講和条約締結前なので無効だとかいうコトも、そもそも言えたものではないと思う。

講和条約締結」を終戦とするならば、今日8月15日は果たして「終戦記念日」なのか甚だ疑問が残るが、かの玉音放送により日本が降伏を表明した日として、今日は終戦記念日というコトになっている。
その終戦記念日の今日、小泉首相靖国神社を参拝した。
「参拝した」という行為よりも、足並みを揃えて生中継で大騒ぎしていたテレビ各社の方に大きな驚きを感じた。
果たしてこの行為は、ソコまで大騒ぎするほどのコトだったんだろうか。
韓国のメディアがこの釣りに見事に釣られているというのも、なんともイタイ。

当時欧米の手法を真似てアジアの国々を植民地化して、大量虐殺や捕虜への拷問など数限りない国際法違反を犯した日本ではあるが、「A級戦犯を合祀している靖国神社に日本の首相が参拝することは罷りならん」という批判についても、些かの違和感があったりする。
韓国では8月15日は「日本の植民地から独立した記念日」らしいが、戦時中の僅かな間であれ「負けていた」韓国がその間にされていたコトについてどうこういうコトも、「負けた奴は、裸になる」ではないだろうか。

強制的に徴兵され、戦死して靖国に「機械的」に合祀された韓国の方のハナシを聞けば、確かにその批判にも一理あるかもしれないが、そもそもの問題は一人歩きしている「宗教法人・靖国神社」にあるのではないだろうか。
ココはひとつ、戦没者遺族会を票田にしている古賀某あたりに気兼ねなどせずに千鳥ヶ淵戦没者慰霊施設を拡充して、「国そして天皇家と密接な関係のある靖国神社」を敢えて形骸化してしまう時期なのではないだろうか。
「そういう時期が来た」というコトだ。
靖国で会おう」と散った英霊の為にも、これ以上騒ぐべきではないと思う。

映画本編では、文字通り「素っ裸」にされた「出目徳」を土手下の家にまで運んで「帰してやる」なんて人情味のあるシーンもあるワケだが、いずれにしても、「出目徳」を演じた高品格という俳優がなんとも言えぬ「味」を出していて、今でも印象に残っている。