一億総作家時代

『ブログ』というツールの普及によって、『作家』という存在は居なくなったそうだ。
これまで、小説を書いてみたい、自伝を書いてみたいという夢を語る人は多く居たが、それを実現するにはカネなりコネなりが必要であり、文学に精通した編集者のお眼鏡に適う作品などシロウトに書ける訳もなく、夢は夢で終わらせるより他になかった。

編集者は営利目的で刊行される印刷物のコンテンツを選んでいるワケで、そのコンテンツが名の通った作家のものであったり、話題になったコンテンツであったりしなければ、容易に活字にする訳にはいかない。
なにせ売れなければ死活問題なのだから。
当然並ぶコンテンツはありきたりなものになり、新参者を拒む閉塞感が生まれる。

自費出版という手もあったが、所詮売れる宛のない刊行物。
全てのコストを積算すれば、たいしたコトない駄文の一遍が、一万円の値を付けてしまっては、それこそ買い手など付く由もない。
それが『ブログ』というツールによって、誰もがたやすく自分の著述を公開できる時代になって、編集者の権威は失墜し、『作家』は居なくなった。

一億総作家時代になると今度は著述はインターネットの世界に溢れ返り、半端な論説では埋もれてしまうようになった。
いや、素晴らしい論説であっても、埋もれてしまったものの方が多いのではないだろうか。

そんな中で抜きん出るには、他人とは一味違った切り口が必要になるのだが、それもネットの世界の総論から外れると、批判が殺到する憂き目に遭う。
この辺のバランス感覚が非常に難しく、書きたいコトも内容によっては自粛せざるを得ない。
それを『言論弾圧』と左翼学生の出来損ないみたいに騒ぐ気もないが、こういう時代にはこういう時代に合った主張の仕方があるのだろう。

なおかつブログに広告を掲載していて、スポンサーの喜ぶコンテンツを心がけるようになると、尚更書ける範囲というものが狭まってしまう。
それが、一週間も更新しなかった理由ではないのだけれど、年に何回かはこういう時があってもいいかなと、ふと思ったりする。

『何故書くのか』なんて考えてしまった時は特に。

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