仙台五橋 とら床

失って初めて分かる大切さというものがある。
無くして初めて分かる貴重さがある。

床屋というのは不思議なもので、髪を切る度に変えるものでもないらしい。
いつもの床屋に行って、特にどこをどうとオーダーするでもなく、いつものように仕上がる。
要望があれば、要望がある場所だけを指示すれば、いい。
それがベストな状態なのだが、生活する場所が変われば変えざるを得ない場合もある。

その床屋はたまたま住んでいた場所の近くに、たまたまあった。
いい歳をしたオヤジと奥さんと、若い女性の従業員、ごくフツーの床屋だと思っていた。
理容学校を卒業したばかりの生徒さんを2年間預かり、「資格だけの理容師さん」に技術を習得してもらう、そんな徒弟制度で有名な人だったとは、後から知った。
生徒の女性は2人、1年おきに1人ずつ採用され、オヤジを「先生」と呼ぶ。
そんな住み込みの徒弟制度も「時代にそぐわない」ということで、数年前廃止された。

その最後の生徒さんとよく話しをしたのだが、ある程度髪を切れるようになった彼女はよく、自分が切った髪を「先生」に手直しされることでの不満を言っていた。
せっかくキレイに仕上げたのに、と。
そのことについてオヤジは、「イマドキの若い人の”見栄え”を重視する切り方を認めないワケではないが、自分は認めない。自分は”伸びても形の崩れないカット”が身上であり、それを研究してこれまでやってきた。若い人にもそういうトコロを学んでもらいたい」と常々語っていた。
たしかにオヤジの角刈りは、2ヶ月は持つ。

最近数件の床屋を渡り歩いたのだが、「切らない床屋」の多さに閉口した。
切るのは襟足くらい。
全体は毛先を揃える程度に鋏を入れて、あとは梳き鋏を入れるだけ。
切った直後の体裁はいいが、2週間も経てば見られたものではなくなってしまう。
それが「激安」を売りにする床屋だけならまだしも、家族営業の普通の床屋さんでもそういう刈り方しかしないのだから驚きだ。
ようやく4軒目で、マトモに散髪してくれる床屋に当たったのだが、客の店主も平均年齢はかなり高め。
このヒトたちが引退してしまったら、もう「散髪」なんて望めないのかもしれないなぁと思いながら、デフレによる価格破壊と費用対効果について考えていた。

「東京から出張の度に散髪してくれる常連さんがいるんですよ」と、とら床のオヤジが自慢毛に言っていたが、それも珍しいハナシでもなくなるのかもしれない。
ちなみにとら床の「とら」は「虎刈り」のとら。
決して阪神タイガースの熱狂的なファンだからではない。
というか、オヤジは根っからのG党。
勘違いして来店したトラキチに苦笑いしながらハナシを合わせる、オヤジの顔がまた面白い。