特攻

海上自衛隊館山航空基地の司令を務めた藤田さんという方には、在任当時ウチのオヤジもかなりお世話になったらしい。
その藤田さんに久しぶりにお会いした際に、今は戦没者の慰霊、特に東南アジアで太平洋戦争末期に玉砕した日本兵が、埋葬されることなく未だにそのままになっている現状に心を痛め、フィリピンに慰霊塔を建立するべく活動されているという話を伺ったそうだ。
その話に共感したオヤジは、その活動への寄付金を手渡したらしい。

後日送付された領収書には「特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会」とあった。
藤田さんはその協会の理事を今務められているらしい。
早速検索してみると
特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会ホームページ
http://www.tokkotai.or.jp/
の理事に藤田さんの名前を見つける。

さらに検索を進めると、その藤田さんが水交会の回報に寄稿したらしき記事が見つかった。
トップページからのリンクが見つからない所を見ると、掲載後にリンクのみ削除されページだけがネット上に残っているらしいが、その大和に関する記述が興味深いので、ここに転載しておく。


最近、戦艦「大和」の話題が多い。呉市に「大和ミュージアム」がオープンして、多くの人々が訪れているという。映画「男たちの『大和』」が、多くの観客を集めて盛況だという。「大和」には、何故か人の心をひきつける何かがあるように感じる。

 ここに、皆さんに紹介したいもう一つの「大和」がある。私は、海上自衛隊退職後、(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会に入会している。協会は、先の大戦末期に特攻隊で戦没された方々の慰霊顕彰のための活動を続けている。 特攻には、「航空」「回天」「震洋」「空挺」など、空に、海に、陸にと様々な形があった。その記録は、当協会版「特別攻撃隊」の本に、個人の名前まで記載して残されている。しかしながら、この四改訂版までには、世に言う「水上特攻」「大和、第二艦隊」の名前は、載っていなかった。昨年、協会員の中から、「『大和』は水上特攻だから、五改訂版には載せるべきだ。」との意見が出された。協会として検討の結果、「やはり載せよう。」ということになり、現在、関係各部の協力支援を得て、名簿作りに取り掛かっているところである。正確な記録が無く、苦労している。この活動の中で、海
佐世保地方総監部と鹿児島地方連絡部経由、徳之島の伊仙町犬田布岬に建立されている「戦艦大和を旗艦とする第二艦隊戦没将士慰霊塔」の存在を知り、そこに保管されている戦没者名簿に辿り着いた。そして、その塔の再建計画があることも・・・。

この慰霊塔は、昭和43年に全国的な募金活動と高松宮殿下の揮毫を戴き、総予算約二千万円(当時)で完成されたものである。犬田布岬突端の地は、「大和」の場所から近く、風光明媚な景勝の地である。建立に当たっては、地元自治体はもとより、国会議員、民間実業界、建設業界、遺族会など各方面多数の協力が得られている。慰霊塔は、高さ二十四メートル(「大和」艦橋の高さ)、塔の中央には高松宮様揮毫の「戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士之慰霊塔」という金箔の文字がある。完成除幕式には、佐世保地方総監部の儀仗隊、音楽隊、護衛艦2隻、P2V3機編隊が参加し、当時の板谷海幕長も参列している。

  昭和44年4月7日の慰霊塔建立一周年記念式典には、高松宮様同妃両殿下、榎本水交会会長、板谷海幕長、古村大和会会長、金丸鹿児島県知事等多数が参列、護衛艦「まきぐも」「あさぐも」など
3隻、P2V3機編隊等の部隊も参加して盛大に行われている。そのとき、高松宮宣仁親王殿下から、次のような「慰霊のおことば」を戴いている。

『昨年の除幕式には都合がつかず参列できなかったが、本日の一周年記念式典に参列できて、この特徴のある立派な慰霊塔を目の辺りに見、且つ、参拝することを得て誠によろこばしく思う。

  かかる遠い孤島に、これだけのものを完成されたについては、大和艦隊生存者及び旧海軍の戦友諸君の、亡き戦友を思う心情に発したことは勿論であるが、建立の中心となられた委員会、設計及び建設工事を担当された方々、財界、政界はじめ広く社会一般の方々、特に地元鹿児島県、徳之島、伊仙町の方々等の、なみなみならぬご熱意の賜であることを、更ためて深く感ずる次第である。

  この機会に旧海軍に籍を置いた者の一人として感謝の意を表したい。

  おもうにこの慰霊塔は、国難に率先殉じた英霊達の真心を偲び、勲を顕彰して文字通り霊を慰むるものであるが、一方人の心に戦争の惨禍を思い起こさせ、再び戦いによる悲しみや苦しみの繰り返されることの無いことを祈る、平和への道しるべ
でもあろう。

  遠くから集まられた遺族の方々に一言するが、皆様のご主人、御子さん、或いはお父さん、御兄弟が国を思う一筋に、散華されたその赤心は、長くわが国の太平の礎石となるであろうことを、せめてもの慰めとして、健康に留意され、英霊の意図した処をうけついで頂きたい。

  また吾々生き残った者は、この記念式典を機会に、昔に変わらぬ国を思い同胞を愛する心構えを更に更に新たにして、平和日本建設の支柱たるべく自重自愛し、各分野において、懸命の努力をしたいと思う。この努力こそが礎石たる英霊に対する目に見えない、何よりの慰霊であると信ずるものである。

  一言御礼やら、希望やらを述べて慰霊の言葉とする。』

 さて、この慰霊碑建立からはや38年が経過している。今年も4月に碑前で慰霊祭が執り行われた。しかしながら、38年の間に慰霊碑は、風塩害にさらされ、倒壊の危険性が出てきており、線香を手向けるにも近寄ることさえ出来ない状況になってきている。

地元伊仙町では、この「戦艦大和を旗艦とする第二艦隊戦没将士慰霊塔」再建委員会(委員長は大久保伊仙町長)を立ち上
げ、広く国民一般に寄付金を募り、碑の再建を実現し、今後末永く英霊を慰霊し、日本のこころ、素晴らしい精神を後世に継承していきたいと活動を進めている。このもう一つの「大和」に関する活動を応援し、再建事業を完遂させたいものである。皆さんの協力、ご支援をお願いしたいと思う。

事業の概要、寄付の送付先等は、次の通りである。

・募 金:一口千円  目標額 1億2千万
・期 限:平成18年8月1日から目標達成まで(11月30日目途)
・送付先:戦艦大和を旗艦とする第2艦隊戦没将士慰霊塔再建委員会
・加入者名:(トクヒ)ボランティアネットワーク徳之島
・郵便局振込口座番号: 01790−5−93870
・住 所:鹿児島県大島郡徳之島亀津7454−2

特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会
 理事  藤田 幸生
http://homepage3.nifty.com/suikoukai/yamato.htmlより

「特攻」も解釈する立場によっては、戦争を美化礼讃する軍国主義の入口になりうると取れるし、また日和見主義の弱腰ハト派理論ともなるが、高松宮様のお言葉にある「
英霊の意図した処」という言い回しが、なんとも含蓄に富む表現で奥深い。

ちなみに特攻隊の遺書など遺品を集めた資料館では「知覧」の資料館が有名だが、ここは陸軍航空特別攻撃隊の出撃地であり、海軍の所蔵品を展示した資料館では「呉」の資料館がその展示量からも圧巻だそうだ。
これらの資料館も各部隊がそれぞれに展示しているものが多く、統制がとれていないというのが現状。
未だ残る「戦争」と臭いものにフタをした戦後処理に、憲法改正の掛け声が空しく響く気がした。