ゆとり以前

朝から首相補佐官なるオバちゃんがテレビに出て、安倍内閣の目玉とされる教育再生会議の第一次報告について説明している。
オバちゃん頭は良いようで、進行役アナウンサーの知ったかぶり発言をやんわり訂正しながら、誤解のないように丁寧に説明していく。

オヅラさんも打ち合わせ通りか鋭いツッコミを入れるが、そのほとんどが「それについてもかなり議論しましたが」の前置きの後、ことごとく否定されていくというか、なぜ報告の通りとなったかを解説される展開。
そう、あのメンバーで真面目に会議していれば、大抵のコトは既出となっていておかしくはないのだ。
あとは記憶力の問題になるのだが、それをいちいち「既出」と言ってしまうあたりが、オバちゃんの気の強さというか、エリート意識といったトコロだろうか。

ただ問題は、こういう提言を行うコトだろうか。
会議は結果を首相に報告し、これに文部科学省が反発し、中央教育審議会(中教審)なる機関は、(報告は)当方の二番煎じだとコメントする。
そして日本教職員組合なる団体は、「脱ゆとり」の部分をもって「教職員の負
担増」を騒ぎ立てる。
教育委員会、なんて存在意義の不明なのもある。
船頭多くして船山に登る、ではないけれども、官邸主導と言いながらさっぱり力のない、その衆愚ぶりが問題なのではないだろうか。

さらに子供の学力低下の背景には「教員の質の低下」。
営業マンにとって「事務仕事が多くて現場に出れない」、は即ち「無能」と評価される。
それが「教職員は別」なんて理論でまかり通ってはならないのだが、「義務教育」が空気のような存在になってしまって、「仕事があって当たり前」という親方日の丸的な空気が公立学校にはあるのではないだろうか。

この際学区制なんて枠も外してしまって、どの学校に行かせるかは受け手次第。
生徒が集まらなければ即廃校とし、良い教育を受けたければ遠距離通学も当たり前、くらいしてしまってもイイと思う。
仕事が欲しければもっと努力するべきなのだ。

「入れて当たり前」だから荒れるワケだし、教室も崩壊する。
資金的に可能であれば、住所を飛ばしてでも山の手の小学校に入れる、そんな現実を認識すべきなのだ。

パトロンであ
アパグループ耐震偽装が発覚して国会召集。
出来過ぎたシナリオではあるが、こんな仕込みネタで「教育改革やってます」とは言わせたくない、そんなオバちゃんの滑舌の良さなのだ。

あのオバちゃんは「山谷えり子」さんて言うのかな?