天声人語

先日姪の高校受験があった。
高校入試とはいっても推薦入学。
作文(小論文)と中学校からの内申だけで審査するこの選抜試験に、「不合格」なんてコトがあるのかというのが正直なトコロだが、当のお母さんは合格するまで気が気でないらしい。

その選抜試験の課題となった作文というか、小論文の内容というのが面白い。
天声人語からとある日の記事を抜粋し、その内容について感想を書けというもので、大学受験では定石の一手だが中学生にはちと難しい課題ではないだろうか。
抜粋された記事は帰国子女に関するもので、「いじめ」を避ける為にわざと下手な英語の発音をしているというもの。
文中の「バイリンガル」の意味が分からずに苦労したという。
その記事って、コレのコトか?

英語学習 2006, 6月 26,月曜日
 30年以上前のことだが、通っていた中学校に米国から日本人の女生徒が転校してきた。英語はもちろん完璧(かんぺき)で、2カ国語を滑らかに話すバイリンガルに会ったのは、初めてだった。

 「これが本場の英語か」と驚いた。ところが、休み時
間になると、その子が1人の同級生に「○○ちゃん、久しぶりね」と話しかけている。2人は数年前、米東部の日本語補習校で同窓だったという。

 だが、もう1人の子は米国帰りの経験はおくびにも出さず、英語の時間にはわざとカタカナ発音で読んでいた。同質性を重んじる日本社会では目立ってはいけないという処世術だったのかもしれない。

 帰国子女が増えた今は、どうだろう。バイリンガルは、英語と日本語を自由に行き来できると思われがちだ。幼児英語ブームや、小学校から英語を教えるのも、バイリンガルへのあこがれが背景にあるからではないか。だが、そんな単純な話ではないようだ。

 英語学習者向けの週刊紙「朝日ウイークリー」(6月25日号)が彼らのホンネを座談会で特集している。自分がどちらの国の人間なのかアイデンティティーに迷う。英語では明るくオープンなのに、日本語では別人格になる。帰国子女は日本の会社では使えない、という先入観にも直面する。悩みは尽きない。

 しかし、複数の言語と文化に触れた経験から、「たぶんどの国に行っても、その国を理解しようという許容範囲が広いと思う」(英
字紙記者)という面もある。外国語の能力よりも、そうした心の柔軟さこそ、彼らから学ぶべき点かもしれない。

この記事から思うトコロは色々とあるが、もし今のワタシがこの記事について何か書くとすれば、ややもすると「帰国子女はいじめられて当たり前」みたいな論調になりかねないし、また「この記事の筆者は思慮が浅い」なんてコトまで言い出しかねない。
自分の意見を表明できるか、その為に十分な語彙力は備わっているか、それらを判定する選抜試験であったとしても、果たしてその内容で合格できるかどうかは、甚だ疑問だ。

帰国子女が文中のカタカナ英語、例えば「アメリカでは〜」の下りを前後の文脈に関係なく突然「Americaでは〜」と発音しだすのはよくあるハナシだが、それが例え正しい発音であったとしても、日本語として聞き取りづらいというのは間違いない。
滝川クリステル嬢の記事読みが端的にソレを現わしている。
また日本語の語彙力の無さから会話中に突然英単語が飛び出してくるのも、コミュニケーションをとる妨げにはなる。
だからといって即「いじめ」に繋がるかといえば、そ
ういうハンデを思いやりむしろ積極的にコミュニケーションを取ろうとする方が多いのではないだろうか。

それよりも、日本で生まれ育ったなら当然知っているハズの二宮金次郎も、豊田佐吉も、松下幸之助本田宗一郎も知らない。
隠語知らない慣習知らない、それでいて、自身が享受するべき「権利」とかにはやたらとうるさく、「譲り合い」なんて空気感をまるで無視して前に出る。
(なんか昨今の、柳沢発言を追求する女性議員のハナシみたいだが。)
それでは、「いじめ」られないまでも組織で「浮く」コトは間違いなく、それは「流暢な英語の発音が目立つ」とかいう次元ではないのだ。

それに、彼らが自慢の発音にしたって、父親の赴任先により大きく変わる。
同じ英語圏とは言ってもオーストラリアには極端な訛りがあるし、アメリカ南部も独特だ。
受験英語で問われる発音はイギリス発音だが、世間に広く浸透しているのはアメリカ英語。
多民族国家ゆえ多少の発音の不備には寛容なアメリカに対し、正しい発音以外ではコミュニケーションを取ってくれないイギリス人。
いくらそれが正しい発音だ
としても、「劇団四季のコッツ(cats)を観た」と言っても日本では通用しないというコトまで、理解するには彼らは若すぎるだろう。

この問題の解決の為には、円滑な日本社会への復帰を容易にするプレスクール制の導入が必要なんだと力説してしまっては、恐らく試験には受かるまい。
もはや高校にすら受からなくなってしまった中年オヤジは、それでも受験生は天声人語を読もうと声を大にして言いたいのである。
(無理して朝日新聞買わなくとも、読売新聞の編集手記でもいいんだけどね。)

国語の勉強は、それだけで充分。
そういうコト。

日本の英語学習のホント・ウソ
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