早稲か晩稲か

「性」の低年齢化を問題視されていて、先日も中学生が出産するとかしないとかいうドラマが放映されていた。
「お母さん」達のヒアリングから浮かび上がる実態を思えば、それを行う意義というものがどこかで忘れられてしまって、「方法論」に終始した小学校高学年からの性教育というのは、その一因として大いに責めを負うべきだろうと思う。
止めたところで、公園など不衛生な場所でしてしまうものだから、息子が部屋に彼女を連れこんでイチャイチャしているのを黙認しているという、中学生の子を持つ親のハナシも、オナニー三昧だった自分の中学生時代を思い起こせば羨まし、いや、感慨深いものがある。
「やり方」を教えられればやってみたくなるのが、人情というものだろう。

社会的に地位のある人が児童買春禁止法違反で連日検挙されている中、その法律で「保護」されるべき18歳未満の女子児童にとって、そういった行為が「日常」であるという事実も見逃してはならないだろう。
彼女たちにとって、小銭を貰ってオッサンに穴を貸すという行為は、それがカネになるコト以上にさほど大きな問題ではないのだ。
どういう主旨で製作しているのかは分からないが、「大家族」としてテレビ放映され、世間から好奇の目に晒されている一家の長女が、中学校卒業するかしないかで妊娠、なんてハナシも、どう解釈したらいいものだろうか。

「貧乏子沢山」の解釈として、貧困であるが故に人件費のかからない労働力を求め、「働き手」としての子作りに励んだ結果だというのが、昭和初期の東北地方であったり、今人口爆発が甚だしいアフリカの飢餓地帯の説明として正解とされているが、陰で避妊具の普及と教育の充実こそ急務としているのはどういうコトだろうか。
高度に教育の進んだ先進国に限って、出生率の低下に悩んでいるのはどういうコトだろうか。
読み書きすら出来ない状況では本能のままに生殖行為をするくらいしか、「することかない」というのが「正解」だと認めてしまったほうがいいのではないだろうか。

そんな中で、「20歳を過ぎて童貞」という青年が身近で最近目に付く。
高校を卒業してもなお経験がないのは恥ずかしいコトで、「やらずにハタチ」すなわち「やらハタ」だけは回避するべく、20歳の誕生日イブにソープに行くというのが真の成人式だった世代からすれば、そんな息子を持つ「親」の気が知れず、あるお母さんに質問してみた。
お母さん的にも「息子が22にもなって童貞」というのは忌々しき事態である。
それはお母さんも「やらハタ回避世代」なのだから認識は同じだ。
ただ「初めての行為がプロ」という事実(ナニが悪い?w)、それを息子に強要してしまっていいものだろうかと、一抹の迷いはあるらしい。
そして「経験がない」という話題に息子が敏感になっており、追求も話の持っていき方を間違えると逆上しかねないという恐れもあるという。
ただ経験がなかったばかりに、高度な教育を施した自慢の息子が、行きずりで知りあった人生経験豊富な女性の毒牙にかかってしまう実例を挙げれば、「知らない」くらいリスクの高いことはないという認識も一致している。

結局、社会的地位も収入もあり、また女性の悦ばせ方(「方法論」だけでなく、気の利いた温泉地に誘うなど、いかに女性をその気にさせるかという部分において)も知っている男性が、「成熟したオス」として早々に発情期を迎えた女性(メス)に認知される。
また、学問の記憶量には長けているが肝心の「生きる」能力が欠如し、色々と理由を並べては就労すらマトモにしない男性が、「オス」として淘汰されてしまうというのは、「より良い子孫を残そうとする人間の生物としての本能部分」であり、いくら法律によってそれを規制したところで、本質的な解決にはならないのではないだろうか。
そんな未成熟なオスの成長支援として、まずはロック座から社会勉強をさせてあげたいと申し出る私の提案は、「お母さん」にはなかなか受け入れてもらえない。

でもね、ボッタクリバーで靴下に隠した1万円札まで見つかって、とっても怖い思いをするような社会勉強って、とっても大事だと思うんだけどなー。
モロ悪オヤジが、あれこれ伝授致しますよー