格差の定義

ここで言う「格差」とは、最近テレビでよく取り沙汰されている、家出少女が陥ったホームレス暮らしとワーキングプアの負の連鎖でも、下町の零細工場主が仕事を海外に取られ、60を過ぎてのダブルワーク生活の苦境でもない。
前者がその負の連鎖に陥ることは、端から見ていれば一目瞭然なわけで、理由はどうあれ準備も疎かに「家出」という選択肢を選んだコトはここで言う「格差」とは意味合いが違う。
また後者が海外に仕事を取られるのは、取りも直さず自らの手間賃が高すぎるわけで、安い労働力でもこなせる仕事を高賃金の場所で継続しているビジネスモデル、また末端の販路を持たない営業スタイルこそ問題であって、これもここで言う「格差」とは異質のものだ。

小泉政権三位一体の改革などにより、「中央と地方の格差は広がった」という論調は最近のトレンドらしい。
地方分権の名の元、各地方自治体が独自の財源により運営されるのが基本であるが、実態はその税収だけではとても賄いきれず、紐付きの交付金でもまだ足りず、道路特定財源でコスト度外視の開発をすることでつじつまを合わせてきた。
いや、そういう仕組みを作ったからこそ、田中角栄はエライということなのだが、それがいずれ破綻するのも自明であり、あっさりその「破綻」が見えたからこそ行われたのが、先の「改革」であったハズ。

だから手遅れかもしれないが、破綻を回避するべく改革が行われたならば、自らの税収で自らを賄えない自治体が、財政的に切迫し、ややもすると「破綻」という実態に陥ったところで、全然驚くコトでもない。
どだい人口密度の極端に低い原野に、都内並みの本数の路線バスや、上下水道に介護福祉が出来るハズがないのである。
もっと言えば舗装された道路だって、日本全国津々浦々まで行き渡るハズがないのである。

先の論調からすれば、「過疎の地方こそ税負担を軽くすべき」となるのだが、ワタシからすれば「より重い負担とレベルの低いサービスの提供」が当たり前であって、「効率が悪い」というのはつまりそういうコトだと思う。
もうこれからは、自己責任で社会インフラを賄える財力のある者しか郊外には住めず、生活に窮する者は都市部を目指す。
スラムと言われようが何しようが、社会主義的日本は崩壊したのだから、それが必定だろう。
そんな格差はイヤだと言うならば、真剣に日本共産党を与党与党とすることを考えるべきだろう。
もっとも、彼らの理想的な主張が「どうせ政権は取れっこない」という大前提に立ってのコトとは、言わせてはならないのだが。

なんて、床屋のオバチャン相手に持論を展開していた隣りのオッサンに、ここで反論してみる。
そんなわけで、今週の見出しイチバンは、女性セブンさんの「"森進一"にならないための上手な誤り方」に決定。