資産と負債

幅広い年代層で読まれたベストセラー「金持ち父さん貧乏父さん」、その中でロバート・キヨサキ氏は資産を「自らにキャッシュをもたらすもの」と定義した。
そしてその定義からすれば、維持費がかかりこそすれ、所有者にキャッシュをもたらすことのない持ち家は、「資産」ではなく「負債」であると区分付けた。
それは、コツコツ働いて貯金をして、念願のマイホームを手に入れることが人生の目標、としてきた従来の価値観を大きく覆すものだった。

今後年金が受給できるかもおぼつかず、60を過ぎてはたとえ保証人を何人付けたにしても、新規に賃貸契約を結ぶのは難しい時代。
自治体の財政難から、頼みの綱の公営住宅も今後は縮小傾向だろう。
そんな時代だからこそ、「持ち家」があるかないかで、老後のプランは大きく変わってくる。
必ずしも「持ち家」が「負債」だなんて、一概に決められるものではないのだが。

吉幾三は昔「東京に山を買う」「東京でベコを飼う」と歌った。
山を持っているということは財産家の証であって、「山を買う」というのはひとかどの成功を納めた到達点としての例えなんだろうが、現実には「山持ち」達は相続などの税金対策から、こぞって学校などに所有する山を寄付しているそうだ。
曰く、下草刈りに人出を頼めば出費となり、木を切れば植樹が必要となり、切った木を運ぶのもタダではない。
外材に押されて日本の林業は虫の息と言うが、ただ所有するだけで赤字の山を相続してまで持つメリットはないのだという。

「それなら山一つ、譲っておくれ」とでも言いたくなるのが貧乏人の本音なのだが、貧乏人には尚更持てないのが今時の「山」らしい。
「ゆくゆくは山に籠っていなかぐらし」とまで言ってみるのだが、軽トラックですら入れない山奥の暮らしは、文明とは真逆の悲惨なもので、それがとても耐えられたものではないコトは、「まあ住んでみれば分かる」ものだそうだ。

ここまで「負債」の烙印を押された山であっても、いつかはその資産価値が認められる日が来ると、「買い」を入れたい衝動に駆られているのだが、「ほいどが馬を飼うハナシ」なのだろうか。