あなたに褒められたくて

子供にとって親とは唯一無二の存在であって、その親に良く見られたい、褒められたいという感情があるものだ。
子供は親の期待を敏感に察知し、その期待に添えるよう最大限の努力をする。
しかしならが期待に添えるだけの能力が伴わなかった場合、非行に走り現実逃避を計る。
それは期待と、能力のギャップが大きければ大きいほど顕著になるだろう。

学校の成績はその最たるもので、テストで高得点を取って褒められたという成功体験を就学早々に味わえば、子供は優秀な成績を納めることによって褒められ続けようとする。
その努力は低学年時には比較的簡単に報われ、同級生よりも多少なりとも記憶力が良ければ、尚更それは容易なものとなる。
中学校あたりまでその好成績が続けば、親もそれなりに期待をし始めて、塾通いなどの投資を始める。
人よりも多少優れた記憶力と、進学塾による記憶項目の整然とした分類によれば、高校受験ぐらいまではトップクラスに居ることはそれほど難しいことではない。

この「勝ちパターン」が崩れるのは高校へ進学してから。
「素質」というもので片付けたくはないが、人間の記憶能力には限界というものがあり、全てを記憶に頼る学習方法に行き詰まり始めるのがこの頃だ。
「考える」能力を持っていれば、原理、原則さえ把握していれば、記憶する項目を必要最小限に抑えられる。
この「考える」動作をせずに問題の解決法をひたすら覚える学習法に頼ってきた場合、急に「考える」ことは難しい。
学習法を変えられないから自ずと従来からの学習法に頼り、考えずに問題を解決する方法論の暗記にかける時間が増えていく。
ここで人並み外れた記憶力を有していればいいのだが、(時にはそういう人も居るのだが、)ほとんどの人は成果が結果として現れなくなり、挫折を味わうこととなる。
この挫折を高校で味わわなかったとしても、大学ではいずれ味わうことになる。
味わわないのは鈍感か天才か、そのどちらかだろう。
凡人はいつかは必ず挫折を味わうことになっているのだ。

この挫折に親が気付いてくれない場合、子供はとてつもないプレッシャーを受けることとなる。
期待を受けていることは重々承知の上で、その期待に添うことの出来ないプレッシャー。
この窮状から逃れられるなら、法の道に外れることさえ厭わない心理。
この場合、人の道に外れるような精神状態に追い込んだのは、そんな子供の窮状を察知してやれなかった親なのだ。

俳優・高倉健氏も、その著述のなかでそう書いている。
60を過ぎて彼が言う「あなたに褒められたくて」の「あなた」は、母親のことだったのだ。
ちなみに最近ネットで「あなたに褒められたくて」と言えば、健さんの著作ではなく
犬の十戒
http://shizuoka.cool.ne.jp/untan/jikkai.html
の単行本の方らしい。
知らなかった。

あなたにほめられたくて―犬の十戒
933円 / オンライン書店bk1