Power For living

今年始めに、日ハムのヒルマン監督などを起用したCMで話題になった冊子。
キリスト教の布教をしているらしいが、この冊子を“無料配布”しているアーサーS.デイモス財団がなんたるかも不明で、10億とも言われるその広告費からも何やら胡散臭いニオイがする。
それで、キリスト教はともかく、その冊子に興味を持ったとしても、「取り寄せた」というヒトは少ないハズだ。
住所と氏名をを知らせたコトで、後々高額の寄付金を集られる羽目になっては堪らない。

先日街を歩いていると、教会の前にその「Power For Living」が置かれていた。
そして「ご自由にどうぞ」とある。
それで、手にとってみた。
「カルト」として世間が知り始めた頃の大川隆法麻原彰晃の本に比べれば、それほど怖いカンジはしない。
あれらは、手に取っただけで洗脳されそうな、そんな雰囲気を放っていたのを覚えている。
それに比べれば、たいしたコトはない。

中身はというと、冒頭の「人生の目的とは」を問う価値観に関する記述。
それぐらいが真新しいものであったろうか。
その序章を「キリストの導きに従い、神に全てを委ねる生き方こそ最上」と締めくくってからは、聖書の言葉をやたらと引用するキリスト系の布教本にありがちな展開。
冒頭に並ぶ日本人でも知っていそうな有名人達のコトバに惑わされなければ、コレで即入信、というのはちょっと虫の良い話ではないだろうか。

ただその序章において、ヒトは人生の目的を経済的な成功であったり、地位であったり、名声であったりと、間違った場所に置いてしまう傾向にあると、具体的なたとえ話から分かりやすく書かれている。
ではその人生の本当の目的が、「神に全てを委ねる生き方」であるとは思わないが、たしかに経済的な成功や地位や名声が、即ち「人生の幸福」ではないという主張には共感する部分が大きい。
(とはいえ、貨幣経済の世の中において、多少の「お金」が必要なことは間違いないとは思うが。)

「東のムネオ、西のマツオカ」と呼ばれた松岡利勝氏の自殺が、世間を騒がせている。
農家に生まれ、大学は農学部
農林水産省に入省し、国会議員となって後も、ずっと農林畑を歩む。
そして安倍内閣において、念願叶って農林水産大臣となる。
「末は博士か大臣か」とむかし出世の代名詞に言われていた、その大臣の地位を勝ち取った氏の最後は、地元に奥さんを残して遠く離れた東京の地で、一人迎えることになった。
同著の論理によればそれは、「人生の目標」をミスリーディングしてしまったことに起因するということになるだろう。
本人はともかく、内助の功でその働きを支えつづけた奥方が、遠く離れた熊本の地でその訃報を耳にする、その心境とはいかほどのものだろうか。
例え覚悟していたとて受け入れられるものではあるまい。

このハナシは緑資源機構の前身の公団元理事山崎氏の転落死を受けて、その「死んでも隠したかったコト」がナントカ還元水の使途ではなく、こちらの問題であることが分かってきた。
関係者の相次ぐ自殺に地検の重要証拠紛失と来て、ネットでは陰謀説が囁かれ「粛清」の文字が飛び交っているが、真実は藪の中にあり明らかになることはないだろう。
ちなみに伊吹文科相の「死人に口なし」発言は誤用。
安倍首相の発した「慚愧(ざんき)に耐えない」の「慚愧」は、「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること」の意。
両者がその意味を知っていて敢えてそのコトバを使ったのであれば、ハナシはかなり違う方向に向かうコトとなる。