需給バランス

需要と供給の絶妙なバランスによって、市場と市場価格は成り立っている。
少しでも供給過剰になれば価格は暴落するし、需要が上回れば価格は高騰する。
この為商工業品はオンライン化された物流システムでガチガチにコントロールされ、末端需要に少しでも変化があれば、すぐにメーカーにバックオーダーが入る仕組みになっている。
それでも、ほんのふとしたコトでメーカー欠品が出てしまうのだから、マーケットの群衆心理は数学では計り知れないものがある。

ただ商工業製品であれば、よほどの原料枯渇でもしない限り再生産は可能であり、その部分を逆手に取った「限定品」が、市場で途方もない高値を付けたりする。
メーカーが意図的に「品薄感」を出して市場価格を高める手法も、最近ではセオリーになりつつある。
むかし先輩から、「メーカーとはひたすら市場シェアを求める生き物であり、数を売ってナンボなんだ」と教え込まれたのを思い出すが、需要が頭打ちの世の中では価格を上げることによって売り上げを伸ばすしかない。
きっとアタマの中では、
売上=販売数×単価
という計算式が、何十回も何百回も繰り返されているコトだろう。

これが農業品となると、「天候」と「収穫期」という要素が加わるので、小豆先物相場がギャンブルと呼ばれるくらい、価格の見通しが立たなくなってしまう。
昨今のバイオエタノール需要により大豆相場価格は2倍となり、アメリカの大豆農家は収穫した大豆を出荷しようとしない。
原料に窮した日本の豆腐メーカーは中国の農家を囲い込み、通常の5割増で買い上げる。
囲い込みに選ばれたラッキーな農家は、作付面積の限りを大豆に転用する。
いずれ、他の先物にもこの影響は及びだろうし、大豆の需要も飽和するだろう。
それまで価格は乱高下だ。

どうも今年は、商品にならないクズの戴き物が多いと思ったら、房州びわは未曾有の豊作らしい。
以前豊作白菜の廃棄処分が勿体ないと話題になったが、高級果物の房州びわならそれは尚更で、いくら供給過剰とはいえ丹精込めて作ったびわは流石に廃棄できない。
市場では余り直売所でも売れ残る。
かくなる上はインターネットにその販路を見出だそうとするのだが、冬のみかんほどには浸透していないびわ
わざわざインターネットオークションで取り寄せてまで欲しいという需要はまだ少なく、価格も市価の6掛けといったトコロ。
クズものは1円スタートの1円落札という、なんとも寂しい展開だ。
「運賃に手間かけて取り寄せて、店で買うより若干安い」という相場感覚は、ここにも健在なのだ。

ここで生産農家なら必ず言うコトバが、「そんな値段なら売らない方がマシ。」
市場価格を崩してまで売るくらいなら、捨てた方がいいのか。
はたまたどうせ捨てるくらいなら、幾らかでも換金した方がいいのか。
三者のワタシからすれば、世間のびわの認知度浸透度を考えれば、まだまだ潜在需要を引き出して販売数を伸ばせる時期だと思うのだが、生産者はどうもそうでもないらしい。

農業にとって市場原理とは、まさにギャンブル。
しかしそのギャンブル、パチンコより面白そうだ。