適性

JR福知山線脱線事故ももう過去のコトとなったが、事故調査委員会による最終報告書が今ごろになって公表された。
内容は運転士の技能云々よりも、ミスを犯した運転士を個人攻撃する会社と、日勤教育という再発防止プログラムが本来の主旨から反れ、「ただのいやがらせ」となっている点について指摘する内容だった。

報告書では事故を起こした運転士が、泊まり仮眠明けの早朝6時からの乗務の疲れから眠気を催し、回送電車で作動させたATSが発端となり、これを報告しなかった心の動揺からオーバーラン、そして大脱線というミスの連鎖が起きたとしている。
それもこれも、ミスが運転指令にバレると科される日勤教育への嫌悪感と、運転士から外される恐怖。
そういう精神的プレッシャーを運転士に掛けた会社側の管理に問題がある、と。

確かに、若干23歳の運転士に掛かる責任はあまりに重く、また運転動作とは直接関係無いように思われる日勤教育にも問題があるが、当日のミスの連鎖の発端となったATS作動、その「駅構内への進入速度超過」は、どうだろうか。
激務だろうと眠かろうと、やっぱり運転士の問題ではないだろうか。
この運転士に免許を交付した手間、報告書は「運転士の運転適性に問題は無かった」としているが、どんなに本人が望んだとしても、乗せてはいけなかったのではないかと思う。
その兆候は、過去に大幅なオーバーラン以外にも、いろいろあったハズなのだ。

事故を起こした快速電車には、停車駅手間で女性の声で停車を促す注意アナウンスと、男性の声で停車を指示する警告アナウンスが流れるという。
先日の架線切断事故では、今後停車出来ない区間で徐行した場合に警報が鳴るシステムを導入するという。
「なら、運転士要らねぇぢゃん」
というのがストレートな感想。
人間が介在しない方がよっぽど安全で、それが法的にダメかと言えば「ゆりかもめ」は無人で運行しているワケだし、やたらと存在感のある労組が反対するなら、運転席にはブレーキだけ付けて、「身の危険その他必要な時だけブレーキを掛けろ」とすればいいではないか。

自らのミスで招いた危機に直面し、自らの保身の為にアクセルを握り続けた運転士のハナシを読んでいて、そう思った。
ちなみに、今週の見出しナンバー1は週刊現代さんの『JR東日本あの運転士をスクープ直撃「運転ミスが原因なんて大ウソだ」』に。
この見出しでどんな内容なのか、とっても気になります。