ヒマさえあれば・・・

新要件だ氷河期だと騒がれながら、相も変わらず男ヤモメが足しげく通っているのがパチンコ屋さん。
最近ではグレーゾーン金利廃止に伴う消費者金融各社の顧客選別により、カネを借りることが出来なくなったパチンカーが増えてホールも経営難、なんて騒がれていますが、そんなハナシは何処吹く風。
ワタシの周りにも竹やり片手に掛かって行くチャレンジャーが数多く居ます。
「ヒマだったから」
皆一様に口を揃えてそう言いますが、「ヒマだった」というよりはむしろ「暇を作って」、いや「暇なんかないのに寝食忘れて」というのが正確ではないでしょうか。

「何故ソコまでして?」と聞きたくもなりますが、かくいうワタクシも以前はそんなパチンカーの一人だったワケで、空いた時間を見つけては、いや、わざわざ時間を空けてはホールへと葱持参で参上していた次第なのであります。
「稼げるから」
それが一番堂々と言える理由と考えられますが、ホントのトコロはどうでしょう。
赤いランプの高速点滅から図柄が3つ揃った瞬間に分泌されるアドレナリンの中毒。
中毒は進行し、一度くらいの大当たりではアドレナリンは分泌されなくなり、連チャンに次ぐ連チャンでドル箱を重ねなければ満足できなくなって行く。
そして、勝っているのに負けるまで続けてしまう。
入って早々に当たりを引いても帰れない。
これでは、通算3割で回収する店側の思う壺です。

「他に趣味があれば」
パチンコをしない否定派は口を揃えてそう言いますが、「趣味は車」と言い放って大枚掛けた自慢の車をホールの駐車場に1日中停めて、なんてのはよくあるハナシです。
人ごみの繁華街であろうと、タイトなコーナーの連続する峠道であろうと、交通量の少ない深夜の湾岸線であろうと、自慢の車を走らせてもアドレナリンが分泌される前に警察のご厄介になるのがオチ。
スピード違反の罰金に5万円は払えなくても、ホールで5万円は平気で突っ込んでしまう。
ギャンブル依存症とはそういうものなのでしょう。
ギャンブルと言えばパチンコに競馬、競輪、競艇が思い浮かべられますが、宝くじだってカテゴリ的には「ギャンブル」。
度の大小はあるにせよ、何かしらのギャンブルを生活の刺激にしている人は少なくないでしょう。

「ギャンブルはしないんですか?」
とはよく聞かれる質問ですが、「人生そのものがギャンブルみたいなものですから」と答えるようにしています。
そのむかしヒマさえあれば葱背負ってホールへ出掛けて行っていたあの頃、仙台を拠点に北は青森から南は関東南部まで、何故あちこちに出掛けてみなかったのだろうと痛切に思う。
オトコが一人であちこち旅行なんて、「有り得ない」と言われるのだけれど、思い出がホールでのことばかりでは寂しいぢゃないですか。

では、なんでそんなパチンコを辞められたのか。
タバコとおんなじで、「なんとなく要らなくなっていった」というのが正直なトコロなのですが、最新機種のリーチアクションには未だに興味があり、ゲームセンターにはたまに出掛けていきます。
もう、ゲームセンターの当たり易いヤツで充分なんですね。
そうそう、2ちゃんねるにも、似たような書き込みがありました。
パチンコを無くするには、レートを10分の1にすればいい。
10円で25発球を貸してくれて、1回の大当たり出球で500円弱。
そうすれば、誰も大金をつぎ込むことは無くなる、と。

「学生には禁じられたオトナの遊び」というのが、なんとなくカッコよくて。
根底にあるのは、そんな他愛も無いコトなのかも知れません。