私の男性遍歴

小池百合子防衛大臣守屋武昌防衛次官の泥試合が、「クーデター」なんて物騒な言葉で報じられている。
記者に囲まれて渦中の小池氏は、「新聞記事もネタが夏枯れ」と不快感を露にしていたが、世の中の出来事をおもしろおかしく報道するのが仕事のテレビキャスター出身の彼女が、そういうマスコミ応対とはなんとも情けない。
彼女がココまで取り乱したのは、マスコミへの情報リークでコトを優位に進めようという思惑が外れた苛立ちだろうか。
コイズミ流にマスコミを手玉に取るには、役者が足りなかったらしい。

今月末に内閣改造を控えて、トップの総理大臣以下大臣たちの卒業旅行とも揶揄される外遊ラッシュを問題視する声がある。
事実上任期が一月もない大臣に来られては、来られる方も迷惑だろうし、公費を使って行く方の神経も疑ってしまうが、多少なりとも見識あると思われた麻生さんまでもがこの時期に外遊するとは、なんとも残念である。

今回の守屋降ろしは、そんな防衛大臣の卒業旅行での手土産との説が有力だ。
69年に大学を卒業し、翌70年に上級職国家公務員試験合格。
71年から防衛庁一筋で勤めてきて、表向き4年の在任期間が長いという理由で、就任一ヶ月の大臣にあっさり解任されては、守屋氏の憤りももっともだ。
それも直接ではなく、新聞報道で自らの解任を知るコトになるとは、あまりに配慮に欠ける。
これに、省庁の幹部人事に権限を持つ塩崎官房長官が反発し、双方が安倍シンゾーに泣き付いて賛同を得ようとしたことが、マスコミの更なる燃料となった。
シンゾー君にしても、内股膏薬の様なお友達内閣で内輪もめは、一番辛いと思われる。

大臣と事務方の軋轢は、ともに戸籍上は女性とあって、田中真紀子外務大臣と外務省のゴタゴタを彷彿とさせる。
自らに火の粉が降り懸かると異様なまでに反発するのは、トコロテン式に押し出されて出世してきたキャリア官僚に共通する特徴だろうが、ポン付けで任命されるトップが「独自色」を出して執務にあたれるかというのは、前から疑問に思ってきたトコロだ。
官僚出身で、議員に転進してもなお出自の行政に関与し続け、晴れて大臣就任というなら分かる。
ただそういう「族議員」と省庁の馴れ合いが問題視され、近年では無関係な人材の起用の方が好まれる傾向にある。
無関係というか、「族」に拘らない人材起用だからこそ、より任命者のセンスと結果責任が問われるものになった。
ついては今回の小池氏、果たして「防衛大臣」に適任だったのだろうか。

外交も行政も流れがあり、一朝一夕に変えられない方針がある。
明日民主党に政権が移ったからとて、即拉致問題を凍結して率先したエネルギー支援を打ち出すワケには、さすがの小沢さんでもなかなか出来ないだろう。
そういう方向を打ち出し、そちらへ方針転換するには、それなりの時間が必要だ。

守屋氏についても、後任の育成と現在手掛けている仕事に区切りが付いたら引退という、方針あってのコトなら納得もするだろう。
確かにこれでは、上司である大臣の関係のない失言にまで、ビクビクしなければならない。
とんだとばっちりだ。
ただ官僚の意見ばかり聞いてしまうと、大臣職の形骸化を招きかねない。
実際田中外相の時には、実務には一切口出しさせないという幹部官僚の態度が目に付いた。
それをうまく操るのが大臣の仕事であり、また資質であるとするならば、田中氏も小池氏も大臣失格というコトになる。
(実際田中氏は更迭されたが。)

問題は議員への転進も日常化し、国会議員との境目も曖昧な高級官僚の「オレが国を動かしている」意識。
それに制限付きとはいえ国会議員でなくても任命出来る国務大臣と、大臣としての知名度で選挙に出る「勝ちパターン」。
大臣に次官に補佐官と、それぞれが立場役割の曖昧な国政運営。
そんなものに起因していると思うのだが、「終戦の日」にふさわしい防衛省内のゴタゴタであった。

小池百合子の蝙蝠の様な政党遍歴は、戦後のニッポンそのものだろうって?
それはそうなんだけどさ。