後にしてほしい

dubrock2007-09-01


救急搬送中の患者が受け入れを断られ、病院をたらい回しにされたことが問題になった奈良県で、先日また同様のたらい回しが起こり、搬送中の妊婦が死産した。(搬送前から胎児は死亡していた、とのハナシもあるが。)
今回は受け入れ先の病院まであと一歩のトコロで救急車が事故を起こし、事故とたらい回しの因果関係が騒がれていたが、ココへ来て最初に受け入れを要請された奈良県立医大が、「受け入れを断ったつもりはなかった」と言い出した。

そもそもこの病院は、救急搬送の開始地点から最寄りであって、しかもベッドに空きがあったと騒がれたトコロではなかったか。
言い分としては当直医の、「患者が入った。後にしてほしい。」を受けて職員が、「患者が入った。手術になるかもしれない。」と消防に伝えたというコトだ。
それを当直医は「断ったつもりはない」と言い、病院は「『後にしてほしい』は、受け入れる意味もある」と言う。
なんとも苦しくはないだろうか。

一分前に別の患者が搬送された。(この「一分前」というのも出来過ぎているが。)
だからベッドは空いていたが、断った。
それでいいではないか。
キャパを超えた受け入れで患者を危険に晒すくらいなら、態勢の調った病院にお願いするのは、「プロ」ならば当然のこと。
堂々としていればいいのに、苦しい言い訳をするというコトは、もしややましいコトがあるのだろうか。
そんな邪推をしたくなる。

交通事故の患者を優先的に受け入れる病院があるとか、救命救急の医師が過労死するとか、夜の小児科は大繁盛だとか、いろいろ言われているが、最寄りの病院から電話で搬送の確認を取り付ける現在の仕組み自体、なんとかならないものかと思う。
このITの時代に、このローテク。
そんな言った言わないで、たらい回しにされたのではたまったものではない。
問題の根本は、搬送中の患者の受け入れを、消防が病院に「お願い」する立場だと言うコト。
それでは救急車が患者を載せて右往左往する現状は変わらない。

そうそう「SICKO(シッコ)」という映画で、医療費を抑えれば抑えるほど儲かるアメリカの健康保険制度が指摘されているらしいが、その映画で対比されているヨーロッパの医療制度では、こんどは経費が掛かりすぎて税負担が問題だというのは描かれていない。
日本では、診療報酬点数制度による「質」の要素の欠落と、入院3ヵ月ルール、所得考慮のない自己負担割合、それに医師不足と「学会」による縦割り社会、ぐらいだろうか。
戦後レジュームから脱却しなければならないのは、何も政治の世界だけではなかったのだ。

誰だって、自分の受け入れ先が決まるまで安心出来ないのは、嫌だろうから。