働く貧者=ワーキングプア?

dubrock2007-09-14


9月12日の読売新聞朝刊に掲載された、慶応義塾で教授を務める、清家篤(せいけ・あつし)というオッサンの、「ワーキングプア」についてのハナシ。
NHKスペシャルから刊行されたその名も「ワーキングプア」という本が話題になっていて、是非一度読んでみたいと思っていた。
そんな旬の話題の「ワーキングプア」についてのハナシだ。

『歴史的には貧者の多くが、実は働く貧者であった』とする切り口が斬新というか、新鮮だった。
さらに本文は続く。
『今でも発展途上国では、働きながら生存ぎりぎりの生活を余儀なくされている人が少なくない。働いている人は貧しくないはずだという認識は、日本など先進国の話なのである』と。

昨今の格差社会が生み出した派遣労働などの就労スタイルが、「ワーキングプア」の要因になっているとするハナシをよく耳にし、またその様に思ってきたが、「菊次郎とさき」に代表される昭和の職人たちは、日々仕事に追われる割には確かに貧しかった。
だからこそ、「菊次郎とさき」が共感を得るのだろう。
つまり「ワーキングプア」は昔からソコにあり、コイズミの改革で降って沸いたワケでも何でもないのだ。

「難民」と呼ぶな、と最近言われる、インターネットカフェで夜を明かす人達、それに高架下に段ボールの小屋を作って生活する人達。
いずれも「何故そうなったのか」を聞けば、家族には言えない事情で家出をした人達がほとんどだ。
日本で賃貸住宅を借りるには、敷金礼金に手数料保証人と、まとまったカネが必要だ。
公営住宅に入るには、その地域に職場か住居がなければならず、それらがあっても大抵は順番待ちだ。
そもそも、素性を明かせないヒトに住居を貸す物好きも少なかろう。

普通新生活を始めるにあたっては、それらの住居費用の他に最低でも2、3ヵ月分の生活費が必要で、大抵はそれらを親元から持参するなりして生活を始める。
それらが無い場合には、高架下に段ボールを広げるしかない。
住居があろうとなかろうと、当座の生活敷金がなければ、やっぱり生活出来ない。
なので身の回りの物を売ったり、また借金、とは言っても新生活を始めたばかりの人間にカネを貸してくれるヒトも少ないので、かなり借り手に不利な借金で新生活をスタートすることになる。
昔は給料から前借りさせてくれる事業主もかなり居たが、勤務初日でバックれるアナーキーなヤツが増えたので、最近ではあまり聞かない。

即日給料が至急される「日雇い」も昔からあったが、なんとなく集まった駅前からバスに乗せられて、工事現場で一日、というなんともガテンで、アンダーな仕事しかなく、その世間に入るには勇気が必要だった。
(一度入れば居心地はいいらしいが。)
だから、ケータイから検索して仕事に登録、当日働けば現地で給料至急という、今の日雇い派遣は、当座の生活費がない者にとっては画期的なものだった。

そしてその生活が、一度嵌ると抜け出られない。
それが「ワーキングプア」と言われているのだが、住居を借りる費用に当座の生活費と、最初に必要なものがない状態からのスタートなのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。
正社員としてマトモに働き、月に手取りで25万も貰えばイイ方のフツーのサラリーマンですら、貯金はなかなか出来ない時代なのである。
日当8千円の日雇い派遣が、新たな生活を始める資金をすぐに貯められるワケがないのだ。

住居も、当座の生活資金もない者が生きていける。
それだけでもスゴいコト。
そう思えば、「ワーキングプア」なんて問題は取るに足らない、いや、そんな問題など存在すらしないというコトになるのだが、どうだろうか。
問題があるとすれば、実質的に継続的な雇用関係にあるにもかかわらず、雇用保険社会保険の適用外だというコトくらい。

ちなみに清家氏の文章は、ワーキングプアの解消はひいては国民の負担増になる、として、どうすればいいのか結論のないままに尻すぼみになる。
冒頭の切り口があまりに斬新だっただけに、最後まで読んで些かがっかりした。

こういうの、「お茶を濁す」というのだろうか。