虫の知らせ

dubrock2007-09-23


「お彼岸だから」というワケでもないが、久し振りに伯父の墓参りに出掛けた。
この伯父は母の兄であり、田舎から東京近郊へ上京した兄弟姉妹の、親分的存在だった。
存命中はこの伯父が音頭をとり、時期を合わせて皆が帰郷、郷里に兄弟姉妹とその子供達が集合し、キャンプなどした記憶がある。
そういうのが好きな伯父だった。

訃報を聞いたのは仙台で一人暮らしをしている頃。
携帯などなかった時代に、部屋に帰ると留守電に姉の声で、伯父さんが亡くなったと録音されていたのを思い出す。
若くして大腸がんを患い、それから数年おきにあちこちに見つかったがんを手術しながら、ついに還暦まで一年を残して他界した「太くて短い」一生だった。

「遠い」という理由で葬儀には参列しなかったが、最後の入院前に顔を見ていたので、それが心残りになっているというコトはない。
火葬の時の担当者の対応が悪く、非常に気分を害したというハナシは、未だに姉からよく聞かされる。
息子ばかり3人で、それゆえ姉が殊更に可愛がられたというのもあるだろう。

墓参して気付いたのは、何の気なしに訪れたその日が命日だったというコト。
お彼岸に亡くなったのだから、大方ばあちゃんでも迎えに来ていたに違いない。
家に残った長男とは対照的に、東京に出て一旗挙げた息子を、だ。

ちょうど先週は、十三回忌の法要が営まれた。
母は今年に入ってから、姉妹で顔を合わせる度にそのコトを心配していたが、無事に招かれてさぞ安心したコトだろう。
ワタシは諸般の事情によりやむなく欠席と相成ったが、諸般の事情などなくてもあまり気が進むものではなかった。
そりゃ母にしてみれば、少しずつ人数の少なくなる兄弟姉妹が集まる数少ない機会なのだろうが、ほとんど疎遠になった従兄弟に伯父さん伯母さんと、歯の浮くような社交辞令を交わすのも結構疲れるものだ。
こうやって墓前に伯父の好きだったまんじゅうなど置いて、ゆっくり伯父のことを思い起こした方が、どうも性分に合う。

伯父が眠っている辺りは、ワタシが幼稚園から小学校入学ぐらいまでを過ごした場所でもある。
今歩けば、当時住んでいた借家から小学校、バスで通った幼稚園、オヤジの職場だった基地と、非常に狭いエリアだったことに驚く。
あの頃、それが「全世界」であり「宇宙の全て」であったワタシの世界とは、こんなにも小さいものだったのだ。

伯父さんが勤めていた町役場は町村合併で無くなってしまったが、変わり行く街の景色の中で、記憶の中にいまも変わらず残っているものがある。
そんなものが見つけられた一日だった。