ほっこり系

dubrock2007-10-21


そのコトバに出会ったのはつい最近、NHKくらいしか視聴出来ない地域で深夜眠れずにテレビを眺めていて、急に始まったショートコント番組でのコトだ。
コントの中で「ほっこり系」と名付けられたその女性は、新入社員の面接試験という設定に必要以上に質素な服装で登場、頼まれもしないのに自作の詩を朗読し、雲の写真を撮り、自分の手を写真に写り込ませる。
心が、「ほっこり」するのだという。

「ほっこり」という形容詞の定義がよく分からないが、何かにつけ「癒し」を求める十代後半から二十代の女性は多い。
ネイルサロンで癒され、半身浴で癒され、アロマで癒され、年がら年中癒されているように見えるのだが、それでもまだ「癒し」を求める。
何をそんなに癒さなくてはいけないのだろうか。

「癒し」とは、逃避か。
肩肘張って生きていかなくてはならない現実社会からの、逃避なのか。
稼いでも稼いでも、もっと稼げと耳元で囁かれる、貨幣経済からの逃避なのだろうか。
毎月給料日と共にやってくる、請求書からの逃避なのだろうか。
ともかく、もう癒される余地もないほど癒されている女性に限って熱望する「癒し」という現象を、見事なまでに捉えた、「ほっこり系」という括り。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」という映画が製作され、そのキャッチコピーは「心がほっこり温くなる」だった。
ビックコミックオリジナル連載の「三丁目の夕日」は嫌いではなかったが、それを実写で映画化した時点で「あっちゃ〜」だった。
さらにその映画化されたストーリーも「…」であったのだが、それに「続」が製作されたというコトは、あれで前作もソコソコ売れたらしい。
で、ついに今回キャッチコピーに堂々「ほっこり」の文字。
知りもしない昭和40年代の景色を観て、「ほっこり」したい潜在需要はまだまだあるというコトだろうか。

高度経済成長期への回顧志向はファッションの世界だけにしてほしいものだが、この「ほっこり系」、今後社会に認知されて次第に市民権を得ていくのだろうか。
ただ「ほっこり」していれば済むというハナシでもないのだろうが、「ほっこり系」は今後も街で増殖と台頭しそうな雰囲気でもある。
映画はともかく、今後「ほっこり」には注目していきたいと思う。

惜しむらくはたまたま視聴したNHKのショートコント番組が、その日最終回だったというコトだろうか。
深夜時間帯での放映だし、認知度も低く視聴率も低迷、ショートコントは収録にやたらと時間が掛かるのもネックだろうが、面白いコンテンツを見つけたその日が最終回では致し方ない。
いったいあの番組、なんと言う名前だったのだろうか。