私の、友人の友人が、アルカイダ

dubrock2007-11-08


幸運なことに招待状が届いたので、試写会に行ってきた。
今回観たのは、『アンジェリーナ・ジョリー主演』、『ブラッド・ピット製作』の映画「マイティ・ハート―愛と絆―」。
2002年にパキスタンでテロリストに誘拐されたアメリカ人記者ダニエル・パール氏のハナシだ。
前回の「キングダム」と言い、最近アメリカで製作される映画には9.11がらみのネタが多いように思われるが、何か政治的な思惑が絡んでいるのだろうか。

先日長井健司氏がミャンマーで銃撃された時にも記したが、政情不安の国、地域、場所にわざわざ出向いていく「ジャーナリスト」なる存在が非業の死を遂げたとしても、それが美談だとは決して思わないし、「自らの命に変えても伝えたかった真実がある」と言われても、そこまでする必要が果たしてあったのかについては異論が残る。
今回のダニエル・パール氏についても、テロリスト集団にまんまと釣られて「取材」に赴く際、安全保障の面で関係各位に面談して意見を請うなどまるきり「無謀」ではなかったようだが、そもそもパキスタンで「ユダヤアメリカ人」が取材活動をしている時点で、本人の人柄、思想、信条はどうあれ無理があると思う。

ユダヤ系」と書いたが、この映画、物語の導入部、事件の直前のくだりからただでさえ登場人物が多いのに、イスラム原理主義アメリカの対立関係だけでなく、インドとパキスタンの対立、イスラエルユダヤ人、なんてハナシがポンポン出てきて、まずそれらを整理するのに付いていけなくなる。
これに画面の右左、黒い部分を追うように移動する字幕を目で追う作業が加わると、肝心の「映像を観る」という余裕はなくなってくる。
それに加えて、「ジャーナリスト」が現地で撮影した画像らしきものを多用していて、それとの整合性を保つ為か、それとも臨場感を演出する為か、「ハンディカムで接写した手ブレ画像」が多用されている。
シアターの前方に陣取ってしまったというのもあるのだが、ややピンがボケ気味の手ブレ画像を必死に目で追っていると、当然のことながら目が回り、つまり酔う。
分かっていれば最初から後方に陣取るのだが、ダンサーインザダークしかりこういう演出の映像の作品については、事前に明記しておいて頂きたいものだと思う。
(本音から言えば「映画」という「大きなスクリーンで上映することが前提のメディア」では、こういう演出は御免被りたいものだが。)

登場人物の移動に使われる車が現地の事情に合わせていちいち日本車だったり、「アメリカ人は爆撃するだけ」というパキスタン人の台詞があったり、「ジャーナリスト」としてヒトの家のお茶の間に土足で上がり込むような真似をしている張本人が事件の当事者として「取材される」側で苦悩したりと、かなりリアルに描写された部分は見ごたえがあるし、ダンナの無事を祈るアンジーが「ナンミョーホーレンゲキョー」とお題目を唱えてみたりと、日本人の視点で観ても面白い映画ではある。
ただ物語のイントロが咀嚼できずに乗り遅れた立場からすると、ここ一番で叶恭子さんのようなアンジーの唇がやけに気になったり、ここ一番でアンジーの「ダーッ」の不自然さに驚いたりと、本筋に関係ない部分に注目してしまったりする。

インド、パキスタンアメリカ、イスラエルイスラム原理主義モサドユダヤ

これらのキーワードの関係をある程度事前に整理した上で、日本語吹き替え版をシアターの後方で。
これが、この映画を「愉しむ」ポイントではないだろうか。
英語に自信があるヒトと、アンジーの「ダーッ」を聞きたいヒトは、是非字幕版で。
ってアンチで書いたら、もう招待状とか届かないのだろうか。