つもり貯金

dubrock2007-11-19


神奈川県大磯町在住のばあちゃんが、故郷の南足柄市に『現金で10億円』を寄付して話題になっている。
1000万円の札束にして100個、重さ約100キロ。
これを最寄りの銀行支店に用意し、現金輸送車で市役所に搬入。
市役所庁舎周辺には警戒の警察官が配備されたという。

「現金の重さをかみしめてもらいたかった」という、ババアのわがままに付き合わされた方もたまったもんじゃないハナシなのだが、市の一般会計の一割ほどをポンと『貰える』とあっては、文句を言う人間もいないだろう。
庶民の生涯獲得賃金が2億円と言われている時代に、米寿を迎えて有り余る生活資金を蓄えたとは、何とも羨ましいハナシなのだが、このご婦人過去にも数億円を大磯町に寄付したコトがあるらしいから、その富は凡人の感覚を遥かに超越している。

ところで、彼女に法定相続人が居たなら、どれほど苦々しい思いでこのニュースを見ただろう。
そちらにはそちらで、文句ないくらいの財産を遺した上での「年寄りの道楽」と見るのが普通だろうが、あればあっただけ、際限なく欲しがるのが人間というもの。
脱税こそすれ、おとなしく指を咥えて「道楽」を観ていられることなど不可能だ。
もし「観ていた」のであれば、たいした人格者であり、またたいした情操教育だと思う。

またもし、法定相続人が居ないというコトになれば、人も羨む蓄財の陰に涙、涙の人生物語を夢想してしまう。
『禍福は糾える縄』の例えではないけれど、「子宝に恵まれず…」みたいなストーリーを期待してしまうのは、ワタシだけではないハズだ。
っていうか、もしそうだとしたら養子取れよ、ってハナシにもなるのだが。
その養子が人の道に外れて…、いや、もうこのへんで下衆の勘ぐりは止めにしておこう。

彼女はその蓄財について、人並み外れた収入よりも、むしろ「継続的な倹約」を強調する。
『コツコツと四十数年掛けて貯めた』と。

その一例が「つもり貯金」。
例えば2000円の品物が欲しかったとして、それを2000円では買わないようにする。
そしてそれが、安く、例えばセール品として1500円で買えたならば、差額の500円を「2000円で買ったつもり」で貯金するのだという。

ちょうど昨日、寒くなったので冬物衣料など漁りに行き、ジャスコで2000円のシャツを1000円で、ユニクロで2000円のフリースとセーターをどちらも1000円で、しまむらで1000円のシャツを500円で買ってきたトコロだ。
この手法で行けば、今日は3500円の「つもり貯金」をしなければならないのだが、残念ながらワタシの財布にその余裕は在りそうにない。
500円玉貯金を毎月20日過ぎに銀行で両替するハナシなのだ。
やっぱり、節約だ倹約だ言っても人並み外れた蓄財は人並み外れた収入が可能にしているのだろうが、逆にそれでカネが無ければ食わない、ぐらいの強い意思が、人並み外れた蓄財には必要だというコトだろうか。

ボク、宝くじ買ったんですよ。
そんで2億、当たるじゃないですか。
そしたら、とりあえず1億は取っておくとして、あとの1億は使うじゃないですか。
そしたらどうします。
キャバクラでも1億使うのは半端じゃないですよ。
でもモテるでしょうね。
結局世の中カネですから。

ニコニコしながらまだ当たってもいない1億の使い道を話す後輩を見ていて、人並み外れた収入さえあれば、人並み外れた蓄財が出来るというワケではないコトを実感した。
大磯町は、ご婦人の名前を冠した基金を創設するというから、人並み外れた蓄財能力の主はしばらくは語り継がれるコトであろう。
それだけでも満足、と言えるくらいでなければ、寄付なんてとても出来ない。

とりあえず3500円、財布から除けてみようかと思う。
肖りたや肖りたや。