トレイントレイン

dubrock2007-11-23


横浜で電車内に座り込む女子高生の背中を蹴った会社員が逮捕された。
蹴られた女子高生は前にあったドアに顔面を強打し前歯を折ったというので、傷害による逮捕も致し方ないだろうが、ソコまでするなら何故逃げなかったのかと、それだけが不可解でならない。
「背中を蹴られて前にあったドアに顔面を強打」というコトは、会社員は背後から蹴ったコトになる。
また「前にドアがあった」というコトは、女子高生は出入り口に座っていたというコトだ。

「女のコを後ろから蹴るなんて」と言われるかも知れないが、『世の中』というものは法律で定められていなくても、してはいけないコトというのが結構ある。
社会規範とか不文法とか難しいことを言わなくても、「してはいけないコトはしない」という大前提で社会は回っているわけで、「出入り口に座り込む」というのは明らかに「してはいけないコト」に入る。
「大の男が女のコを蹴る」、また「背後から人を不意に蹴る」という行為もまた、「してはいけないコト」に入るので、まさかそんなコトはされないだろうと思っていた女子高生の慢心が見て取れる。
でなければ、そんな無様に顔面を強打したりはしないだろう。

電車の出入り口に座り込む女子高生は珍しくないが、大抵の場合はその場に出くわした周囲のヒトが我慢すすコトで、万事事無きを得ている。
口で注意しても素直に聞くハズもない。
というか、素直に聞くような人間ではないから、出入り口なんかに座り込んでいるのだ。
気分は悪いが、別の出入り口を使おう。
口論したトコロで、ぶん殴るワケにはいかないのだから。
ほとんどのヒトが、そう思っているに違いない。
そんなバカでも殴れば、傷害となるのが、今の世の中なのだから。

しかしこのモラルハザードが、どうでもよくなってしまう瞬間というのも、人間にはある。
それが個人的な要因であったり、社会的なコトであったり理由は様々だが、サラリーマンにだってそんな時はもちろんあるのだ。
その両者がたまたま出くわせば、今回のようなことが起こっても不思議ではない。
というか、これだけ「出入り口に座り込む女子高生」が氾濫しては、起こるべくして起こったと言うほうが正しいだろう。

「どうでもいい」のだから、当然背後からでも蹴る。
例え相手が女性であろうと、容赦なく蹴る。
それを「まさか蹴られるとは思わなかった」とは言えないだろう。
なにせ自分だって、「人が乗り降りする出入り口に座り込んでいた」のだから。
逆にそういうコトをしているのだから、背後からの不意な攻撃にも注意を払わなければならない。
それが出来ないとか、嫌だというのであれば、何も出入り口に座り込まなければいいのだ。
そうすれば、不意に攻撃されるコトもない。
社会の「してはいけないコト」というのは、そういうルールと根拠で成り立っているのではないだろうか。
今回の会社員は、その向こう側に行ったのであるから、あとは万難を排して逃げなければならない。
女子高生に注意でもしていたのか、口論にでもなったのか、ともかく、実力行使に打って出たのであれば、最後までこちら側のルールに則る必要は無かった。
誰しもが夢想するコトを具現化した会社員が、ヒーローになれなかった瞬間である。

これで、「出入り口に座り込むと、リーマンに蹴られる」という新常識が女子高生の間に浸透すればいいのだが、おそらく浸透するのは「出入り口に座り込んでいる女子高生を蹴ると、傷害で検挙される」の方だろう。
そして女子高生がまた付け上がる。
なんとも始末の悪い世の中である。

禁煙のホームでタバコを吸っていた男を注意して、逆に殴られたと騒いでいる男がいた。
これなどはワタシからすれば注意した方が悪い。
何故なら「してはいけないコト」をしている向こう側の人間に、「口頭で注意する」というこちら側のやり方で対抗したのだから。
もちろんこういう向こう側の人間が相手なのだから、「殴る」という向こう側のやり方で反撃されるコトも、当然想定していなくてはならない。
だからこの場合は、「ホーム下に落ちるくらいの飛び蹴りをくらわし、脱兎のごとく逃走」が正しい対処法と言える。
それが出来ないなら、関わらないコトだ。

関西の地下鉄を中心に、ホームを携帯圏外にする動きが広がっている。
「するな」と言われてもするDQN排除に、非常に有意義なコトだと思ったが、「心臓ペースメーカーへの配慮」という建て前上、圏外になるのは第二世代携帯まで、第三世代携帯は「影響が少ない」という理由で、アンテナを設置するらしい。
やはり鉄道会社には、DQN排除は期待出来そうにない。
だって駅員さんが殴られてしまったら、可哀相だろ?

自分から掛けたのではなく、掛かってくるのだからしょうがないじゃん、とこれみよがしに通話するDQN
「ご遠慮下さい」なんてこちら側のやり方は、もちろん通用しない。
平日日中の総武線などに、ほぼ毎日のように乗る必要が生じた時のワタシの対応策は、間違いなく「秋葉原で電波ノイズ発信器を買う」だろうが、今のところソコまでの必要性は感じていない。
「たまに」なら我慢するのが『オトナ』なのだから。

路線バスなどを中心にベビーカーは畳まずに乗車、が浸透しつつある。
「乳幼児を抱いて立つ」より安全だというのがその理由だ。
しかし電車などでは、「ベビーカーが邪魔だ」と文句を言われるケースもあるという。
混雑した時間帯に、ベビーカーははっきり言って「邪魔だ」。
しかも乗り降りの都合から、出入り口付近にベビーカーが置かれる傾向にもある。
山の手線など、ベビーカーの乗降を待っていては乗り損ね兼ねない。

ベビーカーを持ち込む親が、混雑した時間帯は避けるなどの配慮も、必要だと思う。
「これがスタンダードだ」と言わんばかりに混合った社内に乗り込むのであれば、ベビーカーを蹴られても文句は言えまい。
それはおそらく、「向こう側」の論理になるだろうから。

「何でもアリ」の向こう側に行くなら、それなりのリスクも考えるべきだという、そういうハナシ。
「自分だけ何でもアリ」ではズルイだろ?