喜望峰(ケープタウン)

世界地図などでも喜望峰ケープタウンは列記されている場合が多いので、この両者は同じもの(喜望峰の英語表記が「ケープタウン」)くらいの認識しかなかったが、「喜望峰ケープタウン市にある有名な岬の名前」という理解が正確らしい。
どちらも南アフリカ共和国の地名だ。
南アフリカ共和国」と言えばアフリカ大陸南端にある国であり、20世紀後半までアパルトヘイト政策(人種隔離政策:つまり有色人種(有り体に言えば「黒人」)を隔離(⇒差別)する政策)を取っていた国と学校で習った。
南アフリカ」や「南ア」と記載されればこの国のコトで、鉱物資源に恵まれ金やダイヤモンドの世界的産地、というのも「世界地理」の分野では必須の事項だ。

しらせの航路今はオーストラリアのフリーマントルシドニーにしか寄らない南極観測船の航路であるが、その昔「ふじ」の時代にはコロンボやこのケープタウンにも寄港していた時期があって、その「南極観測船ふじ」に乗務していたコトのあるうちのオヤジの写真には、それら寄港先のものも多々ある。
(と、いう流れで今日はケープタウンの写真を掲載したかったのだが、手持ちの画像ファイルにあるものは往路で取られたものらしく、どうやらこれも「コロンボ」のものらしい。残念。)
人種隔離政策によれば黄色人種は「有色」に分類されるワケで、いくら地理的に利便性が良いとはいえ当時の南アに寄港では、船から一歩も出られずに辛かろうと思うのだが、オヤジの思い出話におけるそれはちと違うらしい。

というのも当時の南アにおいて「ジャパニーズ」は特別扱いで、白人専用のバーなどにも入店できウエルカムムードだったというのだ。
おそらく背景には金やダイヤモンドの上得意先であったとか、観光客として多額のカネを落としていたとか(これはハワイと同じ)、いずれ「ジャパニーズマネー」に由来するものが大きく寄与していると思われるが、ともかく「学校で習ったアパルトヘイトの国」と「実際に訪れた友好的な国」はそのイメージがかけ離れていて意外だったという記憶が残っている。
ちなみにオヤジ一番の思い出は、仲良くなったバーテンだかに持っていたカメラを譲ってくれとしつこく頼まれたコトだそうだ。
(当時日本製のカメラは海外、特に南アでは入手困難で、マニア垂涎のアイテムだったらしい。オヤジはこの南極行きに際し、出発前に日本で最新のカメラを調達していた。)

となれば、オヤジの足跡を辿ってケープタウン、そして喜望峰へと是非とも行ってみたいと思う。
(って死んだみたいだけどオヤジはまだ健在。)
そんなワケで、南アフリカ観光局は南アフリカスペシャルページを展開し、アンケートに答えて往復航空券(ペアチケット)を抽選でプレゼントというコトなので、早速応募してみようと思う。

プレゼントのご応募はこちら>>https://www.veritacafe.com/html/080116/