こんどはSAD

dubrock2008-01-23


「うつ」という病気もすっかり市民権を得たようで、最近では「うつでカウンセリングを受けている」と言うのが今風のトレンド、なんて言うヒトまで出てきた。
実際その症状に悩んでいるヒトには申し訳ないが、確かに「現代病」「時代を反映した」なんて書き立てられると、なんとなく時代の最先端を行っているように思えてくるから不思議だ。
時代の最先端は劣化が非常に早く、あっという間に普遍化して陳腐化してしまう。
「うつがトレンドになった」なんて言われるようになったというコトは、すなわち「うつ」ももう古くなったというコトだろう。

なので時代は次のトレンドを模索し始める。
SAD・社会不安障害(Social Anxiety Disorder)
はその最有力ではないだろうか。
『人前で話したり、食べたり、書いたりしようとすると、不安や恐怖を覚えて赤面する、汗が出る、震えや口の渇きがおきる。本人がどんなに苦しくても周りにはその辛さが伝わらないこの症状、実は脳内物質に関する機能異常による「病気」の可能性があります。 』
というコトで、
?大勢の前で話す
?公式な席であいさつをする
?集会で自己紹介する
?会議で指名されて意見を言う
?権威ある人と話をする
?よく知らない人に電話をかける
?初対面の人と話をする
?面接を受ける
?人に見られながらサインをする
?外で食事をする

のうち3つ以上が頻繁にあり、かつ?〜?のため、社会生活に大きな支障がある場合にはSADの可能性があるという。

あるというが、人前で話す時ってフツーに声とか震えないだろうか。
初対面の人と話をする時はフツーに緊張するし、よく知らない人に電話をするのが得意な人なんているとは思えない。
世の人は手とか震えないのがフツーなんだろうか。
ならば?〜?は「よくある話」であって、それが「社会生活に大きな支障となるかどうか」というトコロがポイントになってくるのかも知れない。

となると、「支障となるかどうか」はかなり主観的であって、同じ症状でも人によってかなりの差が生じる。
ちょうど「うつ」が市民権を得る前の時代に、それが「ただの怠け者」と言われたような、そんな曖昧さを持ってはいないだろうか。
だいたい、「ボク、SADかもしれないんです」なんて医療機関を訪れるコトが出来るなら、「社会生活に大きな支障などない」、つまりSADではないというコトにはならないだろうか。

これが「疾病」であるならば、随分と都合の良いものだなと思いながら、もしかしたら自分もSADではないかと不安にもなってきた。
世の人は、果たして前述の10項目についてことごとく「NO」なんだろうか。
公式な席であいさつなど、屁の河童なんだろうか。
「自分はうつじゃない。うつじゃないんだ」
と自分に言い聞かせているうつのヒトって、そんなに珍しくないと思うのだが。

なんて考えていて、往年の名台詞『それを考えると夜も眠れない』を思い出した。