KY野郎

dubrock2008-02-03


東京都が職員1000人を動員して2日に行った「緑の東京募金」キャンペーン。
当初時間あたり千数百円の超過勤務手当と往復交通費が支給される「職務扱い」というコトで準備されていたのだが、前日の石原シンタローの「鶴の一声」で一転、「ボランティア」となったそうだ。
参加者は環境局などが関係部局に割り振っていたそうだが、小遣いを稼ぎ損ねた都職員はさぞ落胆したコトだろう。

環境局としては、「都の重点施策を進める事業の一環」なので「職務扱い」と解釈していたとのコト。
対する石原シンタローの主張はこうだ。
?「一口千円の募金を一人が何口集めるかは知らないが、一人当り2万円近い日当を超えられるとは思えない。」
?「仕事にどれだけ情熱があるかだ。来たくないやつは来なければいい。」
大まかに見てこの2点。
一部報道で「知事激怒」と伝えられているから、またいつもの調子で記者を圧倒、有無を言わせず「これが民意」「これが正義」と結論付けて会見を締めくくったと思われるが、法的に見れば「役所的な判断」の環境局の方が正しいのではないだろうか。

?の「逆ざや」についてだが、このキャンペーンの趣旨は「告知」であって、「カネ集め」ではないハズ。
仮に「カネ集め」がその主目的であり、かつ動員する人員の人件費で「逆ざや」になるのであれば、そもそもその人件費分を基金に回せばいいだけのコト。
更に?についてだが、こういった場合に「やる気だ」と怒り出す管理職は数多いが、怒る前に管理職自らが率先して参加する空気感を作り出せない落ち度を認識して欲しいものだと思う。

このハナシを聞いていて、そのむかし新聞少年だった頃のコトを思い出した。
新聞販売店にはだいたい午前3時前にその日の朝刊が届く。
コレを午前6時くらいまでに配達すればいいワケで、極端なハナシ午前4時頃店に出勤したって、6時完了は出来るワケだ。
しかし午前3時に届けられる朝刊を、トラックから下ろす役目が要る。
そしてこの仕事は「新人の役目」とその店ではなっていて、純真無垢な当時のワタシは何の疑いもなく3時前に出社してトラックから新聞を運んでいたのだが、ここに「無給ならやらない」と言い出したヤツが居た。

確かに一時間近くも早く出社して、ボランティアの力仕事はバカらしい。
しかし、歴代の新人達がずっとしてきたコトであるし、その発言を聞いた先輩達も明らかに表情が強張っている。
そんな空気を察知すれば、どう考えても言えないセリフをそいつは平然と吐いたのだ。

「体育会系の上下関係」がデフォルトのワタシ、軍隊調のウチのオヤジ、何かというと腕力で解決しようとする昔の上司、そして石原シンタロー。
それらの方法論で行けば、そんな空気の読めないヤツはブン殴って…となるだろう。
しかし実際社会において、こういうへ理屈に手を出したら「出した方が悪い」となるし、いちいちこんなトラックから新聞を運ぶ、運ばないで暴力沙汰など実にバカらしい。
そんなバランス感覚のほうが先行してしまう。
そして結局、聞き分けの良い有志数人が朝の3時からエッチラオッチラ新聞を運ぶのである。
その頃例のKY野郎はまだ夢の中だというのに。

この時「世の中にはこういうヤツも居る」というコトを学んだ。
この言動で新聞店での人間関係が気まずくなろうとも、そんなの店から離れてしまえばどうってコトもない。
そして今思えば、労働の代償に対価を受け取る、それで初めて成立する関係において、「無給ならばしない」はむしろ正しいコトであって、世の中にはそれを臆面なく言える「KY野郎」は少なくないのである。

都職員が未払いの超過勤務手当の支給を求めて訴えを起こす、なんてのもナンセンスなハナシだが、「緑の東京」を求めて草の根の市民運動も盛り上がらないうちから、職員に職権でボランティアを強要する発想というのもいかがなもんだと思う。
そしてこのコトを、シンタローの英断で役所の血税無駄遣いが止められた、とする報道姿勢もあまりに茶坊主的発想だと思う。

まっ、いまだに「KY野郎」になれないワタシは、仮に記者会見の場に居合わせたとしても、何も言えないんだろうけどね。