九段の母

dubrock2008-03-18


試写会の会場が「九段会館」だったので、せっかくだから靖国へも足を向けた。

上野駅から 九段まで
 かってしらない じれったさ
 杖をたよりに 一日がかり
 せがれきたぞや 会いにきた
石松秋二作詩『九段の母』の一節である。
年老いた母親が、靖国に祀られた息子に「会いに来た」情景を歌った曲。
ココに来てこの一節が思い浮かぶ30代は、おそらく「少数派」ではないだろうか。
「九段下で降りればスグじゃん」
とか無粋なコトを言ってはいけない
この詩が作られた昭和14年当時、靖国へは「上野から徒歩で」がスタンダードだったのだろう。
もちろん「地下鉄」なんて、あるワケがないのだ。

この曲、太平洋戦争下で国民の意識昂揚の為作成されたと思っていたが、太平洋戦争の開戦が昭和16年の暮れであることから(昭和12年の支那事変(日中戦争・ちなみに満州事変は昭和6年)の2年後)、「戦中色は強いながらもコテコテの戦時下ではなかった」と言ったほうがいいのだろうか。

大鳥居

♪空をつくよな 大鳥居
 こんな立派な おやしろに
 神とまつられ もったいなさよ
 母は泣けます うれしさに
作者の意図については知る由もないが、「死して靖国に祀られる」が戦中のマインドコントロールのキーワードとして、軍部に都合良く利用されていた感は否めない。
♪両手あわせて ひざまづき
 おがむはずみの お念仏
 はっと気づいて うろたえました
 せがれゆるせよ 田舎もの
神道」の作法で参拝するのが定石とされているが、戊辰戦争以降の「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた戦没者、英霊」が祀られているトコロであるから、ココで他の神社と同じ感覚で「商売繁盛」など祈願するのは、些か場違いな気がする。
国の安泰と発展を祈念すべきだろう。

靖国
戦没者遺族、戦友などからの奉納金などで年間20億もの予算を計上できるのも、「神社」という形式を保っているからなのだろうが、国の宰相が参拝することを問題視する最近の風潮や、肝心の天皇家が参拝しない矛盾など、一人歩きしてしまったこの「神社」の抱える問題は大きい。
千鳥ケ淵に新たな戦没者慰霊施設を建設したのでは、「靖国に祀られることを願った」方々に申し訳が立たないという意見もごもっともだが、政府のコントロールが効かなくなった「巨大宗教法人」てのもどうだろう。
♪鳶が鷹の子 うんだよで
 いまじゃ果報が 身にあまる
 金鵄勲章が みせたいばかり
 逢いに来たぞや 九段坂
「桜の名所」としても有名な靖国
今年ももうすぐ桜の時期だ。

蕾