九段の母
試写会の会場が「九段会館」だったので、せっかくだから靖国へも足を向けた。
♪上野駅から 九段まで石松秋二作詩『九段の母』の一節である。
かってしらない じれったさ
杖をたよりに 一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた
年老いた母親が、靖国に祀られた息子に「会いに来た」情景を歌った曲。
ココに来てこの一節が思い浮かぶ30代は、おそらく「少数派」ではないだろうか。
「九段下で降りればスグじゃん」
とか無粋なコトを言ってはいけない。
この詩が作られた昭和14年当時、靖国へは「上野から徒歩で」がスタンダードだったのだろう。
もちろん「地下鉄」なんて、あるワケがないのだ。
この曲、太平洋戦争下で国民の意識昂揚の為作成されたと思っていたが、太平洋戦争の開戦が昭和16年の暮れであることから(昭和12年の支那事変(日中戦争・ちなみに満州事変は昭和6年)の2年後)、「戦中色は強いながらもコテコテの戦時下ではなかった」と言ったほうがいいのだろうか。
♪空をつくよな 大鳥居作者の意図については知る由もないが、「死して靖国に祀られる」が戦中のマインドコントロールのキーワードとして、軍部に都合良く利用されていた感は否めない。
こんな立派な おやしろに
神とまつられ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに
♪両手あわせて ひざまづき「神道」の作法で参拝するのが定石とされているが、戊辰戦争以降の「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた戦没者、英霊」が祀られているトコロであるから、ココで他の神社と同じ感覚で「商売繁盛」など祈願するのは、些か場違いな気がする。
おがむはずみの お念仏
はっと気づいて うろたえました
せがれゆるせよ 田舎もの
国の安泰と発展を祈念すべきだろう。
戦没者遺族、戦友などからの奉納金などで年間20億もの予算を計上できるのも、「神社」という形式を保っているからなのだろうが、国の宰相が参拝することを問題視する最近の風潮や、肝心の天皇家が参拝しない矛盾など、一人歩きしてしまったこの「神社」の抱える問題は大きい。
千鳥ケ淵に新たな戦没者慰霊施設を建設したのでは、「靖国に祀られることを願った」方々に申し訳が立たないという意見もごもっともだが、政府のコントロールが効かなくなった「巨大宗教法人」てのもどうだろう。
♪鳶が鷹の子 うんだよで「桜の名所」としても有名な靖国。
いまじゃ果報が 身にあまる
金鵄勲章が みせたいばかり
逢いに来たぞや 九段坂
今年ももうすぐ桜の時期だ。