いよいよ25円値下げ

平成二十年の4月1日という日は、おそらく「歴史に残る日」となるのではないだろうか。
原油高騰の折、ガソリン価格の4割を占める税金。
その大半であるリットル53.8円のガソリン税の、そのまた半分近くである25.1円が、「本来の税率に『暫定的に』上乗せされた部分」であって、「『暫定』であるならば、上乗せされなくなるのは何時か?」というのは、誰しもが思っていたコトではある。
しかしながら『暫定』とは名ばかりで、半永久的に延長され続けるのが「ガソリンの暫定税率」。
そうやって、ただ黙って集まる「道路建設の為だけの資金」を我が物のように配分することで、支持を獲るのが「政治家」。

田中角栄の作ったこの仕組みこそが、前のヘナチョコ宰相も繰り返し口にした「戦後レジーム」であり、「自由民主党」というものであった。
かの変人コイズミをもってしても崩せなかった、この「ジミントウ」というものを、これまた「ジミントウ」の最たるもののような「小沢一郎」という男が壊したのである。
そうは言っても土壇場で日和りそうで、ちっとも信用出来なかった民主党の党首は、実は本当の「壊し屋」だったのだ。

在庫分は課税済みなので、元売の在庫積み増しを画策したり、在庫分の出荷が終わり、新税率の商品が出荷されるまでは、販売業者の値下げ販売を牽制したりと、紆余曲折は色々あったが、世論の圧力に押されるように4月1日の出荷分から25円引きを表明する元売も現れ、ついには4月1日からの「足並みを揃えた値下げ」が現実のものとなった。
のみならず、4月1日から25円引きで売るくらいならと、3月中に15円程度の値下げで在庫を処分する業者も現れ、「資本主義経済」の面白さを堪能するコトができた。

親の代から引き継いだコテコテの「ジミントウ」で首相たらしめた福田康夫であるから、暫定税率の再可決による復活を目指すコト自体は自然の成り行きと言える。
しかしながら、一度下げてしまったものを再び上げるコトなど、それも25円の大幅復活としておいて、「ガソリンの消費を奨励していると諸外国から批判されかねない」という明らかにウソくさい理由では、到底ムリだろう。
そんなので国民の理解なんて得られるワケがないのだ。

ココは正直に、「確かに贅沢で不明瞭な使い方をしてきたかも知れないが、これからもバシバシ道路を作るためには必要なものなので、皆さんリットル25円の上乗せを負担して下さい」と言ってみて、どれだけの賛同が得られるか見るべきだろう。
地元に道路建設を誘致するコトで支持されているセンセー達の支援者だって、こう言われれたらどうするのだろうか。
中には、背に腹は変えられないヒトだって、少なくないと思うし、だいたい道路利権だけで選挙に受かろうとするコト自体、時代に合わない「昭和のやり方」だと思っているのではないだろうか。

民主党にしてみればこれは千載一遇のチャンス。
一気に畳み掛けて衆議院でも過半数を取れる絶好のタイミングなのである。

正直なトコロ、ココまで来れば一度民主党に政権を取らせてしまっても、いいと思っている。
どうせ寄せ集めの支離滅裂集団。
結果なんて、どうせ「ジミントウより悪い」に決まっている。
そんな、「民主に入れるよりはマシ」という国民の良心に、自民党は胡座をかき過ぎてきたのだ。

その驕りの最たるものが、本来法律で定めてある税率を、「暫定」と称して自分達の都合の良いように上げ下げした、「暫定税率」の数々ではないだろうか。
社会状勢を鑑みて暫定的に変動させる限度は「数年」。
それを10年以上のスパンで延長を繰り返し、恒久的なものにしてしまった。
本来本当に必要なものであれば、大元の法律を改正するのがスジというもの。
それを「簡単に延長できるから」と安易に放置しておいて、「ガソリンもさることながら、その他の暫定税率についても、廃止されると国民生活に多大な影響が出る」と脅かし、慣例に従った延長を求める。
これを「驕り」と言わずして、何と言うのだろうか。

品切れ
そんなワケで、大幅値下げを見越した「買い控え」で、年度末の売上を大いに落としたこの店では、「品切れ御免」の掲示まで用意していた。
いくら安くなったからとて、湯水の如く使うほど消費者はバカじゃないと思うのだが、各地でミニ石油ショックなど、起こるのであろうか。