将来への、ぼんやりとした『不安』

dubrock2008-07-21


芥川龍之介の「最後の推敲をした遺書」が見つかったらしい。
それが、既に刊行されている「芥川龍之介の遺書」と文面に違いがあるとかないとか。
「遺書」を「推敲する」とは何とも作家らしい行動心理であって、決して長いとは言えない小説に、用いるコトバを選び尽くしたと言われる芥川らしいハナシではある。

自殺した時の歳は今のワタシよりも少し若く、たしか結婚して長男が生まれた後だったとか。
用いるコトバの一つ一つについて、いちいち吟味し尽くして書き上げていたのでは、そりゃいつまで書けるか不安にもなろう。
『ぼんやりとした不安』がそれ以上にナニを指すのかなんて、本人にしか分からないだろうし、当の本人は既に死んじまっている。
なので好き勝手書かせてもらう。

長男という立派な相続人が居ながら、著作については全て「岩波氏」に一任するとした遺書。
今回見つかったものでは、既に発表されているものよりも、その「一任」の念の押し方があっさりしているという。
岩波もう少しカネよこせ、なんて芥川末裔の声が聞こえて来そうだが、当人たちはこのハナシどう聞いているのだろうか。

「将来へのぼんやりとした不安?」
そりゃもちろんワタシにもありますよ。
でも、死んじまったらその「不安」が的中したのか取り越し苦労だったのか、分からないじゃないですか。
死ぬのは、それを確かめてからでも遅くない。
そう思っています。

にしても、『直ちに焼棄せよ』といったにもかかわらず原文が出版され、さらにコピーが一般公開されるとは何と言う憂き目。
芥川の、死にたくなるくらいの『ぼんやりとした不安』って、もしかしたらこのコトだったのだろうか。

ワタシが嫁に宛てた私信をそんなコトされたら、そりゃ確かに死にたいくらい恥ずかしいぞ。