小田嶋隆「低予算のNHKに惨敗の民放五輪特番」

dubrock2008-08-26


読売ウイークリー」という週刊誌の見出し。
内容は読んでいないが、見出しだけ見た限りでは、「まさにその通り」だと思う。
この場合の「惨敗」は視聴率的な敗北を指すのだろうが、実際の視聴率がどうだったのかは知らない。
知らないながらも、「面白かったかどうか」の尺度で、『民放が惨敗』だと思うのだ。

決して、NHKの五輪中継が「良かった」とか「面白かった」とか言っているのではない。
淡々と競技の模様を中継するそのスタイルは昔と変わらない陳腐なものだ。
それよりも、存在意義の分からないタレントであったり、これといった見識のないアナウンサーであったりが、取って付けたような空々しいコメントを発する、そんな「民放の五輪特番」が「つまらなかった」と言っているのだ。

ただでさえスポンサーのCMを見せられる民放である。
企業広告の視聴と引き換えに、独自に製作した価値あるコンテンツを無料で享受できる。
そういう前提で成立っているのが、「民間放送」というビジネスモデルであるハズだし、そうあるべきだと思う。

それがどうだろう。
クイズ番組を作らせれば解答はCMを跨ぎ、ドラマはキャスティングからしてスポンサー協賛、そしてスポーツ中継では、なんとなく「何らかのバーター」と推測できるタレントが白々しく騒ぎ、アナウンサーは「スゴい」しか言わない。

そんなんで「感動」に水を注されるぐらいなら、淡々と競技だけ見ていたほうがマシ

という意見にならざるを得ないではないか、というのだ。

民放各社4-6月期の決算が発表され、おしなべて減収減益だったという。
一番の落ち込みが「売上高」即ち広告料収入であり、ここから役員の減俸と番組制作費の圧縮が行われているという。
定番化した「お台場冒険王」は今年で打ち切りとなり、その「予算削減」を茶化したバラエティー番組まで放映された。

確かに、企業の宣伝広告費はインターネットに向かいつつあり、(テレビの)広告料収入が上がらないから、その分番組制作費をカット、というのも正論ではあるが、縮小均衡でもある。
カネさえ使えば良いモノは出来る。
限られた予算から優れたコンテンツを作り出してこそ、「仕事」だろう。
「オレだちはそうしてきた」という経営陣の浪速節が聞こえて来そうだが、チャラ〜っと六本木あたりで酒を飲ませて、チャラ〜っと外注することぐらいしか知らない現場に、果たしてそれが出来るのだろうか。

3年後には地上波が、デジタル放送に完全に移行するという。
その、「送る側」のインフラ負担も膨大で、それは経営を圧迫するほどだ、とも言われているが、下らないコンテンツをタレ流すだけなら、いっそこの機会に諦めてみてはどうだろうか。
大丈夫。
過疎地には衛星放送がある。
ムリをしなくてイイのである。
貴重な周波数帯を地上波放送に分け与えているのだから、「優良なコンテンツを享受する権利」ぐらいは主張してもバチは当たるまい。

ところで、「苦痛体験型レジャー」の代表格である「お台場冒険王」打ち切りの背景にあるのは、「予算削減」だけだろうか。
確かに、「毎年恒例」というのは日本的に訳せば「談合の温床」というコトであり、群がるイベンターたちにしてみれば予算化されたイベントではある。
それ専門に仕切る天下り企業があってもおかしくもない。
それにしたって、あれだけの人を炎天下に並ばせておいて、あれで『赤字』だとは到底思えないし、広告収入なき後のフジテレビの大事な収益源である「グッズ販売収入」の、絵に描いたような販売機会でもあるのである。
それを止めるというコトは、つまりは「収益」以外の政治的な背景、つまり「何にも無かったただの埋め立て地である『13号地』に社屋を移転し、ソコを一大観光地とする政策的意向」の期限が切れたのではないかと思うのだ。

「高収入ランキング」では上位を独占するマスコミ関係者の皆さん。
その事業の、世論煽動力の強さから、政治家とのパイプもさぞかし太かろう。
その影響力で、「地デジ対策の為」と称して持ち株会社への移行を認めさせたみたいだが、本音は「買収防衛策」としか思えない。
「保身」も大事だが、本業があんな体たらくで大丈夫なんだろうか。

新聞社の、「押し紙」による発行部数詐称。
そして「地デジ完全移行 ともなれば、テレビの視聴率だって誤魔化しが利かなくなる。

そんな、マスコミ崩壊の一端として、今回の「つまらない五輪中継」を観ていたのだが、どうだろうか。